閑話休題で肥前家と肥前の話に戻ります。
南北朝期(特に前期)の菊池一族は、大智抜きに語ることはできません。
そして肥前家は大智とは非常に深い関係にあります。
大智は第13代菊池武重公に菊池に招かれたとされるのが有力です。そして武重公、第14代菊池武士公の時代には菊池一族の精神的支柱となり結束を強め、政治的な指針をも与えた人物です。
その大智が生まれたのは(肥前ではありませんが)現在の宇城市不知火町で、
現地はちょっとした公園になっています。
アクセスは北と南から可能なようで、教育委員会からは北を教えられましたが、わからなかったので南からアクセスしました。
胞衣塚らしきものがあり
そして複数石碑が建ちます。
こちらが江戸期に建てられたもので
昭和初期に昭和天皇御大典を記念して建てられたのがこちら。
さらに登ると、昭和36年に建てられた記念碑と、記念碑尽くしです。
大智は加賀の祇陀寺を去るときに、「日本に仏教が栄えたらこの杉も茂るよ!」と言って杉の杖を立てたらしく、それがなんと今現在天然記念物になっているらしいのですが(あれ?
どこかで聞いた話だな…)、その杉の枝を苗木に平成4年にこの地に植えられたのが写真背後の杉とのことです。
次回からはその大智が何故肥前家と深く関わりを持つようになったのかをつらつらと。
【文献】
徳富蘇峰「菊池氏の勤王と大智禅師」『純忠菊池公を忍ぶ』
阿蘇品保夫『菊池一族』
『菊池市史』
【大智降誕地】
宇城市不知火町長崎 Pなし。わずかなスペースに駐められるかどうか。
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