同じく江戸末期の烈女百人一首には、菊「地」寂阿妻として菊池武時公の奥さんがエントリーされています。
探題討ち入り後、少弐・大友の裏切りにあい覚悟を決めた武時公が、「笠ぢるし(=袖印)」に例の歌を書き付けて肥後へ送り、「二男肥後の三郎(=頼隆公)」らと共に討ち死にしたと説明しています。
「故郷に 今宵ばかりの命とも 知らでや人のわれを待つらん」
いわゆる袖ヶ浦の別れですね。武重公に持たせたことになっているはずですが、ここではその説明はありません。
さて、これを受け取った奥さんは武重公を呼びこまごまと遺訓を残し、自身は例の歌を心静かに書き残して自害したとここでは説明しています(出典不明)。
「故郷も 今宵ばかりの命とぞ 知りてや君がわれを待つらむ」
文献によっては微妙に文言が違いますが、文意は同じです。
その勇壮さは益荒男勝りだと賞賛されています。
さて、これとほぼ同じ内容が戦前の女学生向け教科書『女子鑑』に掲載されています。
その一節に「大友・少弐は人倫にあらず」と…。
いや、少弐にも良い少弐がいましたけどね(景資とか)。
PR
COMMENT