先日訪れたお城の中から、肥前勢福寺城をピックアップしてみます。
城郭大系によると、勢福寺城の築城年代は明確ではないが1353年頃、一色直氏により築城かとされています。
興味深いのは、城郭大系の一文で、仁比山城の事を「勢福寺城と考えられる」としているところです。仁比山城は菊池武安公築城とされるお城ですが、あまり詳細がわかっていません。いっそのこと両城が同じであれば、訪れる労力が減って楽なのですがね(笑)。
さてその勢福寺城も情報が少ないお城だったのですが、最近登山道が整備されたためこれから訪城記録がどんどん他のサイトにもアップされていくことかと思います。
登山道は種福寺にあります。
種福寺には江上家種のお墓があり、「種」は家種からとっているようです。
登山道は裏側にありますが、わからない場合は素直にお寺の方にお聞きすると教えてくれました。場所的にちゃんとお断りしてから登るのが良さそうな気もします。
お寺の方は小さい頃はこの山を遊び場にしていたようで、山頂までは30分ぐらいだろうと教えてくれました。
道はこの通り虎ロープや階段が設置されており、山頂まで迷うことはなさそうです。
登り始めて10分ほど、城郭大系の「三の丸」はまだかなと思っていたら、大きめの堀切に出くわしました。
親切に「堀切」の看板もあります。
さらに3分するともう一つ小さめの堀切です。
またさらに3分ほどで視界が開けた場所に出ます。すると「展望岩」の看板があり、なるほど良い眺めです。
左のこぶが松崎城で、右に下に見えるのが長崎道です。平野も一望できます。
長崎道が見下ろせると言うことは、おそらくいつの間にか三の丸は通り過ぎているようです。
そこからさらに10分もかからない内に、ようやく広い平地に到達します。ここが城郭大系で言う二の丸のようです。
特に西側に土塁が続きます。
さらに進むと虎ロープで囲まれた井戸があります。
内壁は岩で固められていますので、雨水などを貯めていたのでしょう。
そのすぐ先が本丸で、ここには気合いの入った土塁があります。
土塁の上には三角点が。
気合いが入った土塁だと思ったら、その先には虎口がありました。
虎口の先から土塁を見上げるとこうなります。
気合いを入れたのには理由があったのですね。
そのすぐ先には堀切があります。
自然石が良い感じですね。
さて、説明板等があるのはここまでのようでしたが、せっかくですのでもう少し先に行ってみることにしました。
進むこと約5分。こんな所に登り石垣!?
ではなく、自然石でした。しかし、ここは自然地形を利用した堀切になっているように素人には見えました。
その先にも似たような地形がもう一つ(たしかこの写真だったような…)。
人工ではないかもしれませんが、堀切として活用されていてもおかしくないという印象を受けました。
さて、その先にようやく平地が現れます。主郭から尾根沿いに北西に進んだ地点です。
ここにはこの城で初めて腰曲輪らしきものをみつけることができました。
この郭は周囲を土塁でぐるりと囲まれているのが印象的でした。
その先は傾斜が厳しく引き返そうかと思いましたが、下に石積らしきものが見えたので少しだけ進みましたが、自然石でした。ということで今回はここまでにしました。
次回は詳細な縄張図を持参したいところです。
ところで、ゲーム「信長の野望 天下創世」に勢福寺城が登場しますが、ゲームではクネクネとしたクリークに囲まれた平城のような作りになっています。おそらく、平野部のクリークを意識してデザインしたのでしょうね。
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