前回ご紹介した峯泉寺から北数百メートルに、城武東の墓があります。城武東は、
城親冬の弟に当たります。ここにお墓があると言うことは、親冬が
隈本に入った後も、
城林城に残ったのでしょうか。
上木庭地区の看板には「逆修の碑」とあり、さらに言えば城武東よりも藤原武東墓として知られているようです。
峯泉寺もこの看板に記載されていますが、今見直すとそのすぐ近くに「ブタイテンサン(頭が良くなる神様)」なるものがありますね。行けば良かった。
さてその「逆修の碑」、この看板では非常にわかりづらい所にあります。畑を通る道が急にこのようにきれいに舗装される風景を目印にすると良いでしょう。私も何度もこの周囲を車でウロウロとしてしまいました。
写真にある小さな丘陵の向こう側に、看板とお墓があります。
左の墓碑には「逆修城筑後守日千東永(?)藤原武東」とあり、「弘治四年八月吉□」と続きます。吉「日」でしょうか?逆修碑ということは、吉日に自らの墓碑を刻んだのでしょうか?右は記銘から察するに奥さんでしょう。
城筑後守武東の名は、永正元年(1504年)の菊池政隆侍付に見つけることができます。弘治4年は1558年ですから、結構長生きしたのでしょうか。
次も城氏のお墓について。
【文献】
『菊池氏史要略』
木庭實治『菊池木庭城と木庭一族』
【逆修の碑】
菊池市木庭(上木庭) 近くに駐車スペースあり
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