肥前の前に、大智の足跡を少したどることにします。
大智は幼名を万仲といい、七歳の時に川尻にある
大慈寺に入りました。
敷地は広大、立派なお寺です。
この梵鐘は大智の師匠・寒巌義尹自身が文字を刻んだとされ、国の重要文化財に指定されているそうです。
師匠の寒巌とのエピソードは色んなところで紹介されていますので割愛しますが、幼い頃から頭のキレる「小賢しい」(寒巌談)がきんちょ様だったようです。
境内には寒巌の廟があり、霊魂塔
その背後には両親の供養塔があります。
右が母、左が父とのことです。
さらっと父と言ってしまいましたが、父は順徳天皇とされ現地説明版もその説を採っています。後鳥羽天皇説もありますが、年齢的に辻褄があわないようですね。
寒巌の墓は宇土の如来寺にあるそうです。
この寺の開基に関わった河尻泰明の墓もあります。
大智はここで7年ほど学んだ後に元に渡るのですが、次回は帰国後加賀に開いたお寺について。
【文献】
徳富蘇峰「菊池氏の勤王と大智禅師」『純忠菊池公を忍ぶ』
阿蘇品保夫『菊池一族』
平泉澄『菊池勤王史』
『菊池市史』
【大梁山大慈寺】
熊本市野田1丁目 Pあり
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