肥前シリーズ第一回目は、第5代菊池経直公のお墓です。
経直公は先代菊池経宗公の長男として1111年正月というゾロ目にうまれ、長男ですが七郎経直と系図にあります。
鳥羽院の武者所として出仕し、その頃鳥羽天皇から並び鷹の羽紋を賜ったという説もあります。
さて経直公のお墓は、武雄の
潮見神社にあります。
潮見神社の参道としてではなく、経直公墓域への参道とする石柱がどーんと。
写真は2010年3月19日撮影で、桜がわずかに開花していました。梅だったかな…。
さて、何故経直公のお墓が武雄に?となるわけですが、経直公はここ肥前杵島郡長島庄の荘官職を持っていたのでした。
そして潮見神社の流鏑馬に出場した際、なんと誤って落馬、亡くなってしまったというのです。1186年とのことですので、壇ノ浦の戦いも終わっています。菊池一族にとっては大変な時期で、子の第6代菊池隆直公が生きているかどうかも怪しく、この一帯の所領を安堵されていたのかどうか…。特別招待でもされていたのでしょうか。
いずれにしろ、76才で流鏑馬に出場するのは悪手でしたね…。せっかく一族としては珍しく長生きしたのに…って、当主の中では圧倒的な長寿だったのですね。
そのお墓がこちら。
ご夫妻の墓ということです。民家の裏でややわかりにくいです。
なお、神社の背後の山は潮見城です。詳しく紹介するまでもないので、主郭の写真を一枚。
石積が一部見られましたが、いつ頃のものなのかはわかりません。主郭までの道のりは結構急な傾斜でした。
次回は少し脱線して経直公が勧請造営した神社について。
文献 菊池市『菊池市史』 上米良純臣『菊池氏史要略』
【潮見神社】
武雄市橘町大字永島 Pあり
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