前回ご紹介した
西福寺から西に約200mに八坂神社があります。
現地には教育委員会が設置した説明板が二つあり、それらを要約すると次のようになります。
この八坂神社の祭神は延寿国村とその父・弘村で、1600年創立。なぜ刀工延寿が祀られているのかというと、この一帯には延寿国村の屋敷があったとされるのです。
延寿弘村を招いたのは菊池武房公で、1270年であったとのことです(川添昭二氏は元弘の頃としていますが)。弘村は菊池延寿、国村は延寿太郎と号し、ここに屋敷を構えました(まずは合志郡
竹迫という説あり)。
この時、京都の八坂神社から奉戴した銅鏡を祀ったのが神社の始まりだったのですが、その後菊池氏の没落と共に神社も廃れ、銅鏡は刀工達に守られ1600年に再建し弘村・国村を祀ったとか。
境内には井戸跡が残り、
周辺には子孫である延寿国信の墓や、
(この中のどれか)
藤原左京と右京の墓があります(国村の子孫?)。
(推定。菊池市史には写真のみで説明なし)
なお、菊池風土記には「延寿太郎国村の墓」があるとされていますが、どれなのかはわかりません。
※追記
藤原右京が弘村、左京は国村と『新・菊池文化物語』にありました。墓も移転されてここになったようです。
菊池氏没落後は玉名郡同田貫に移住し、後に加藤清正に登用されます。
【文献】
『菊池市史』
川添昭二『菊池武光』
『菊池風土記』
堤克彦『郷土史譚100話 菊池』
【延寿太郎屋敷】
菊池市西寺 Pなし
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