今回は赤星有隆屋敷のご紹介です。
なぜ赤星有隆屋敷にしたかというと、前々回6/15の内容が
延寿太郎「屋敷」、さらにその前の6/10の内容が「赤星有隆」墓がある
西福寺だったからです。
全国民が知っているように赤星有隆は赤星氏の祖であるわけでして、由来は
文永の役で有隆公が敵将と格闘して捕縛した際に返り血で甲冑が赤く染まったから、という説もありますが、これは「真っ赤」なウソであります。それ以前からこの赤星庄は存在していたわけですから。
その赤星有隆屋敷は『菊池風土記』に説明があり、「はいたか天神の後の通り」とあります。
たしかに赤星菅原神社の背後(北側)の通りに石碑が建っています。
続けて『菊池風土記』によると、赤星重隆が
守山城に入るとき、推定家臣に屋敷を譲り、その子孫が代々住み続けたと言います。他の姓の者が住むと
「異人があらわれ追いかけられる夢を見る」という幽霊屋敷であったようです。今お住まいの人は大丈夫なのでしょうかね。
なおこの石碑は昭和56年建立のようで、姓が「○野」さんの名前が複数刻まれています。どうやら教育委員会などではなく、個人による石碑のようですから、本当にここだったのかどうかは私にはわかりません。
【文献】
『菊池風土記』
【赤星有隆屋敷】
菊池市赤星 Pなし
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