前回の
染土城と同じく、源為朝伝説が残る神社が菊池にあります。
それがこちら、七坪産神社です。染土城からそう離れていませんが、十八外城では
葛原城の方がやや近いかもです。
せっかくなので、
サイトとは違う写真にしました。
菊池にある菊池氏関連神社の中では、訪問難易度が高いです。とは言っても、高い山の上にあるわけでも、茂みの中にあるわけでもありません。単に、場所がわかりにくいだけで、私はたまたま出会った地元の初老の方に、一日史跡を案内していただいたので助かりました。
さて、『菊池風土記』には、「1353年に菊池宗政なる人物によって建立されたと伝わるが、そんなやつは系図にはおらんし、神体の裏に1467年藤原宗政とあるので誤り」とあります。
ただ、『菊池氏史要略』には1222年
第七代菊池隆定公によるとあり、『菊池市史』にも隆定公とあります。共に出典はわかりませんが、どちらかが勝手に引用したのかもしれません。他にもそのような文献があったように思いますが、思い出せません。
さてこの神社、祭神は源為朝の妻と6人の子供(男3・女3)で、なんと為朝の後妻の送った弓の名人(刺客?)によって射殺されたのを祀ったと伝わっているそうです。怖い怖い。
しかも、神社近くの岩壁には、七人を射殺した矢が刺さってそれが残ったという矢竹群が最近まであったそうな。かつてここは「七坪村」だったらしく、「七」人が関係しているのでしょうか。
隆定公の没年は1222年説がありますので、死ぬ前に「あの7人を祀っとかんといかん!」と思って建てたのでしょうか。
次回は、近くの葛原城になる…のかも。
【文献】
『菊池風土記』『菊池氏史要略』『菊池市史』
【七坪産神社】
菊池市西迫間 Pなし。少し離れた舗装された道路に駐車して歩くと良いかと。
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