前々回ご紹介した博多合戦で戦死した第12代菊池武時公の供養塔が、山鹿の日輪寺にあります。
菊池武時公が天菴懐義を招き、古寺を再興して日輪寺を開きました。天菴懐義は大智を第13代菊池武重公に紹介した人物とされます。
武時公は娘の了心素覚尼を日輪寺に住まわせたとされ、素覚尼の墓があります。
その傍らにある大木「ラカン槙」は、武時公のお手植えとの伝承があります。
もし伝承が正しいのなら、樹齢は700年近くと言うことになりますね。
武時公の供養塔は有料区域にあります。
「前菊池 真空寂阿大菴主 肥後守武時入道」
ご開基様のお墓なんだから、もう少し立派なものにしてくれてもいいのになぁ。
その近くには大石内蔵助像が。
赤穂の大石神社の像よりも出来は良いように思います。ていうか、そこは武時公の像を造ってよ…。
なぜ日輪寺に大石像が?ということになりますが、
テロリスト義士の内、大石達17人は細川藩に身柄を預けられたのです。接待役の堀内伝右衛門という人物が彼らの遺髪を受け取り、それを埋葬したのがここ日輪寺です。ということで、遺髪塔が素覚尼墓の傍らにあるのを掲載し忘れていました。
桜田門外の変時の水戸浪士も、赤穂浪士を厚遇した肥後藩邸に逃げ込む計画があったというのを読んだ記憶があります。
最後に、ここ日輪寺にはもう一つ像があります。
「おびんずるさま」。これはでかいです。福岡市東公園の日蓮像の比ではありません。高さなんと30メートル。材料二つに分けて武時公の像を造ってほしかったなぁ…。
【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』
平泉澄『菊池勤王史』
『菊池市史』
【医福山日輪寺】
山鹿市杉 Pあり
より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後) を表示PR
COMMENT