円通寺から南西約1キロに岩戸山があります。大智は円通寺を弟子に譲り、岩戸山に庵を結び晩年を過ごしたとも言われます。
岩戸山の東側には大智の像があります。『菊池市史』の記述を読み間違えて、一度山の南西側に登ってしまいました。
この大智さんの目線の先には…
なにやら石柱が立っていますが、あれはなんだったかな…。たぶん怖くて行かなかったと思います。
なお、この像の背後には…(グロ注意)
首のない像があります。これが元々の大智像だったりして。
同じ島原の本光寺(丸尾城)には島原の乱で首を斬られた首なし地蔵がたくさんありますので、もしかしたらこれも同じ目に遭ったのかもしれませんね。
他には大智が愛した猿のために建てたという墓もあります。
円通寺は島原の乱で焼かれたため、それを再興する形で
巌吼寺は開かれたようです。
次回は四分された大智の遺骨の最後の所在について。
【文献】
『菊池市史』
【補陀山巌吼寺】
南島原市加津佐町乙 Pあり
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