昨日の続きです。
大智は玉名の
広福寺と、自ら建立した島原半島の
大覚寺と
円通寺を往来していたとされます。円通寺は在地領主有馬氏から土地の寄進があったようです。
現在円通寺は廃寺となっており、googlemapでは「大智禅師堂」となっておりますが、円通寺山門の礎石と、大智の墓碑があるのみです。島原の乱で焼けてしまった模様。
左下に見えるのが山門の礎石、中央が大智の墓である「大梅の塔」、写っていませんが背後の木造建築物が大智禅師堂なのでしょうか。
1366年12月10日、大智はこの地で77才で死去。大智の遺骨は四箇所に分葬されたそうで、既にご紹介した聖護寺、広福寺、ここ、そして加賀のお寺です。
次回は加賀のお寺の前に、もう一つ大智が関わった島原のお寺について。
【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』
【水月山円通寺】
南島原市加津佐町己 駐車スペースあり
より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後以外の九州) を表示PR
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