久しぶりの更新になりますが、一応
前回の続きです。
肥前家に招かれて
聖護寺から
広福寺に移った大智は、海を隔てて肥前家の所領であった島原に寺を二つ建てました。その一つが高来郡東郷神代村にある
本覚寺です。
1358年、重富氏によって寄進されたとも(『菊池一族』)、神代氏によるとも(現地説明版)。
本覚寺は大智存命中に焼けて重富氏と一悶着があり、後に沖田畷の戦いの際にも焼けてしまったようで、その後紆余曲折を経て廃寺になりました。現在はご覧の通り後期の住職達の墓石や神代氏時代の五輪塔が残るのみです。
大智はこのお寺を「禅古上人」に譲るとの譲状を残しています。
次は大智が死去したもう一つのお寺について。
【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』
【本覚寺】
雲仙市国見町神代辛 Pなし
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