城氏の墓について書くといいながら、
3ヶ月が経ってしまいました。
城氏の墓シリーズ最後は、陣床の「城家の塚」です。
城武東墓や
峯泉寺の東に位置し、現在は
東山公園となり桜とつつじの名所として売り出し中です。
「陣床」の由来は南北朝期に大友勢が菊池を急襲しようとした際、いち早く気付いた菊池勢が陣を張り、撃退したことから来ているそうです。
菊池市を遠くにみることができます。
「説明板その1」がこちらなのですが…
南北朝時代なのに、大友氏の説明は大友宗麟…。
もっと古い「説明板その2」はこちらで…
大友氏の説明は大友氏時になっているものの、絵はどうみても島津義久…。南北朝期なのに九州の勢力図は戦国時代…。
そもそも、赤星有隆は弘安の役の時に既に30歳だぞ。南北朝期まで生きていたとして、1336年には85歳という計算になる…。
そんなよくわからない東山公園にあるのが「城家の塚」で、「結縁地蔵」と呼ばれています。
このこんもりとした部分に石棺が埋まっているようで、
城林城主・城家の塚だとの伝承があるそうです。城武顕がここに埋葬されていたらすごいぞ。
しかし現在この幟は
地蔵尊ではなく、桜とつつじのアピールの幟にとってかわられています。
「菊池遺産」に登録されたことですし、もっと詳しい説明がされることを期待しています。
【東山公園】
菊池市木庭 Pあるも、西からの道は極めて狭し。東から駐車場に入るのがよいかと。
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