どの文献で探し当てたのか記憶が定かではないのですが、名取市に菊池一族が建立した増田神社があります。有名な唐津の増田神社(なお、増田敬太郎は菊池出身!)とは無関係です。
現地説明版によると、1444~1448年「菊池武光の一族である菊池豊後」が生まれ故郷の大和国「城上郡笠山の社(つまり奈良の笠山荒神社)」から分霊して手倉田に祀ったのが始まりで、後に「菊池左馬介」の代に現地に移ったとのことです。
この大和生まれの菊池豊後とはいったいどのような人物なのでしょう。1440年頃といえば19代菊池持朝公の時代ですが、説明版の言うとおり武光公の子孫なのか、単純に有名な武光公の名前を挙げているだけで単に菊池一族であるのか、いずれにしろ私には皆目見当がつきません。
ともあれ、後の葛西大崎一揆では、蒲生氏郷や徳川家康が戦勝祈願を行ったり、朝鮮征伐の折に伊達政宗が武運長久を祈願したとのことです。
さて、奥州の菊池氏関連史跡の写真もほぼネタがつきてしまいました。
ついでに八戸市の櫛引八幡宮をご紹介して奥州シリーズを終わりたいと思います。
南部氏の祈願所であるこの神社には国宝の甲冑2つと重文の甲冑2つ所蔵されていますが、重文の「唐櫃入白糸威肩赤胴丸」の「唐櫃」には「菊『地』武義」「応永24年」と署名されています。
菊「池」武義公といえば武光公の弟で、15代武光公の時代には
長者原で戦い、さらに16代武政公、17代武朝公と三代をサポートし
千布蜷打で戦死した人物です。応永24年にはすでに武義公はこの世にはいないですし、まぁまず別人なのでしょう。
が、遠く青森にも一族の足跡らしきものが残っているのは嬉しいものです。
明日は2月14日は何の日?について
【増田神社】
名取市増田2丁目 Pあり
【櫛引八幡宮】
八戸市八幡八幡丁3 PありPR
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