前回ご紹介した
青篠城から南約8キロに太田代城があります。
現地説明版には「大」田代城とあるのですが、今回は城主の太田代氏に準じてとりあえず太田代城とします。

比高50m程度の小さな山城で、主郭の周囲に小さな腰郭を備えたこれまたシンプルな造りで、主郭には五十瀬神社が建ちます。

腰郭には木々が乱立しています。

土塁が一部残っていますが、林道によってぶった切られ、一見虎口のように見えます。

冒頭の説明版にあります通り、青篠城主菊池恒邦の子・太田代伊予が城主を務めました。
天正15年(1587年)、主君江刺重恒が葛西家に対しに謀反を起こそうとしたのを父子で諫言したため攻撃を受け、太田代伊予は戦死したとされます。実直な一族ですね。
その子孫は遠野に逃れたとか、後に奥州仕置の際に葛西氏と共に南部家に仕えたとか。
次回は菊池一族が奥州に建立した神社について。
【陸奥太田代城】
奥州市江刺区田原高根下 Pなし。五十瀬神社北東部道路沿いの案内板近くに駐車可能か
PR
COMMENT