岩手県奥州市に菊池一族が城主を務めた
青篠城があります。
築城主を菊池秀恒としている文献もありますが、よくわかっていないようです。
説明版には菊池右馬丞が城主を務めたとありますが、これまたよくわかりません。「江刺兵庫頭」は江刺重恒のことでしょうから、その家臣・菊池右近恒邦(「恒」を偏諱?)のことかもしれません。
城自体は2つの郭からなるコンパクトな山城で、主郭背後の二重の堀切が見所のようですが(詳しくは
こちらの他サイト)、訪問したのが7月でジャングル状態だったため藪漕ぎは断念し、主郭の櫓台と言われるものを見て満足して引き返しました。
主郭の一段高くなった櫓台と思しき所に「青篠城跡」の白い標柱が立っています。
さて、話は登城前にさかのぼります。
上掲の説明版を見つけたものの、一帯が藪化していたため登城口をみつけられず彷徨っていたところ、麓の民家におじいさんを発見しました。目が合い不審者と思われてはと挨拶し、「青篠城はこちらで?」とお尋ねしたところ、藪化しているけどたしかにここに道があり、その先だと教えてくれました。
さらに私が菊池一族のストーキングをしていることを知ると、「それなら
菊池神社があるよ(実際には東北訛り)」というのです。
昨日の記事でご紹介した菊池神社です。下調べではそんなの出てこなかったけどなぁ、と半信半疑でしたが、わざわざ主郭まで行って戻るまで待ってくださり、さらに神社まで連れて行ってくださり、それを守っている菊池さんをご紹介してくださり、大変良いものをご紹介していただいたと感謝しています。
次回は青篠城主菊池恒邦の子・太田代伊予守の太田代城について。
【陸奥青篠城】
奥州市江刺区玉里大松沢 Pなし。城の西側の道路沿いにある説明版脇に1台は駐車可能か。
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