菊池五山のうち、
西福寺しか紹介していないのもなんだか気持ち悪いので、北福寺をご紹介します。
袈裟尾山北福寺は弘仁年間に伝教大師、つまり最澄さんによって開かれたという。
なんでも『菊池風土記』によると、何とわざわざここまで来て修行していたところ、袈裟と黄金の錫杖が空から降ってきて松の木にひっかかったので、その松を釈氏松と呼び、袈裟尾山永福寺を開いたという。
結構な規模を誇ったようだが廃寺となったのを、第10代菊池武房公が再興したという。武房公の墓もここにあったんじゃないだろうな…。
そして第15代菊池武光公が菊池五山を制定した際、北福寺と改称されたという。第21代菊池重朝公の時代には玉祥寺の末寺になったという。玉祥寺についてはいずれ。
なお、上の写真に右隅に五輪塔があるのがわかるでしょうか。
これは建武2年に13歳で死去した「藤原力丸」の墓であり、一族格ではないかと言われています。建武2年に13歳と言うことは、大雑把にいくと生年は1322年ぐらい。ということは、武時公の子だったり、もしかしたら武重公の子だったりする可能性もなきにしもあらずか。違うのだろうけど。
【文献】
『菊池風土記』
『菊池市の文化財』
【袈裟尾山北福寺】
菊池市袈裟尾 Pなしも門前にわずかに駐車スペースあり。
より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後) を表示PR
COMMENT