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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   

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四條畷神社

 今回も予定変更で、昨日訪れた四條畷神社を。

 大阪での用事が早く終わったので、何となく四條畷神社に行ってみました。
 四條畷と言えば四條畷の戦い、ということで祭神は楠木正行です。

 四条畷駅を降りてしばらくすると、まっすぐ長く伸びる道が既に参道のようです。その参道の反対側には楠木正行の墓があります。

 説明板には、ここが正行戦死の地で、ここに葬られたとあります。
 小さな石碑を建て、やがて楠木が植えられたところ、巨大化し石碑を囲むようになるまで成長したとのこと。

 このどでかい石碑は建て替えられたものなのでしょうね。

 さて四條畷神社。

 菊池神社に似ていますね(できたのは菊池神社が先です)。

 神社の傍らには、桜井の別れ像が。
 
 なんだかバランスがおかしい…。
 死を覚悟した正成が子の正行に後を託すというお話ですが、菊池武時公と武重公の袖ヶ浦の別れが行われたのは桜井の別れに先立つこと三年ですからね、くどいようですが。つまり正行は楠木の武重ということになります。

 神社では交通安全のお守りを購入。

 既に車には菊池神社と湊川神社のお守りが貼ってありますが、この神様同士に限ってはケンカすることはないでしょう。

 四條畷市のマンホール。
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博多合戦

 680年前の今日、元弘3年3月13日は博多合戦が行われた日、すなわち第12代菊池武時公のご命日です。
 博多合戦については、若干内容が異なるものの『太平記』と『博多日記』が伝えています。

 後醍醐天皇の打倒北条の綸旨を受けた菊池武時公は、少弐・大友にも使いを送り、自らは阿蘇神社に参詣し鏑矢に添えて歌をを奉納したとされます。
「武夫の上矢のかぶら一筋に思ふ心は神や知るらむ」

 後醍醐天皇が隠岐を脱出するなど不穏な雰囲気を感じた鎮西探題北条英時は、九州の諸族を博多に招集します(『博多日記』)。身辺警護と探りを入れるのを兼ねてのようです。
 武時公は3月11日に博多に到着し、息の浜に宿営します。現在マリンメッセがあるのが「沖浜」ですが、その近辺かもしれませんね。
 そして翌12日、探題館に出仕したところ、下広田新左衛門尉に「遅刻だよ」と言われて激しい口論になったそうです。武時公は「I will be back」と言い放って宿営地に戻り、その夜酒宴を開きます。この時既に探題襲撃を決めていたとも言われます。一説には、肥前の尊良親王の蜂起が14日であったことから、探題の対応から1日計画を早めたとも。

 さて、13日の寅の刻、武時公は所々に火を放ち探題館を目指します。少弐・大友にも使いを送りますが、少弐には使者を斬られ、大友から斬られそうになった使者が帰ってきて、武時公が放った有名なセリフが「日本一の不当人共!」です。
 探題館の場所は確定されてはいないようですが、櫛田神社東方が有力なようです。

  この辺?

 『博多日記』では「此は御所か」と言って誤って櫛田神社へ入ったとありますが、前日に探題館に行っているのに間違うのがおかしいと、平泉澄と西川虎次郎陸軍中将の両氏は言います。西川中将は探題館を包囲するため、作戦上隣接する櫛田神社に入ったのだろうと考えています。


 『太平記』でも櫛田神社は登場します。
ーーーーーー
 櫛田神社を乗馬して過ぎようとしたときに、神様が「凶だよ!やめとき!」とアドバイスしようとした(or乗馬を咎めた)のか、武時公の馬が動かなくなってしまった。武時公は立腹して「いくら神様と言っても止めるとは何事だ!それならこれを食らえ!」と神殿の扉に向かって「矢一つまいらせん」と言いながら二発矢を放った。すると馬は動き出し、武時公は「ふふん」とあざ笑って通り過ぎた。後で見ると大蛇が矢に刺さっていた。
ーーーーー
 西川中将は「武時がそんなこと無礼なことするはずがない」と言っていますが、平泉氏はこれをもっていかなる手段を用いても探題を討つべしと部下に決意を促したと解釈しています。

 戦いは『博多日記』は武時の義弟、菊池覚勝(寂正)が御所に討ち入って中庭まで攻め込んだとし、『太平記』でも英時が自害をしようとしたとするなど、菊池勢優勢で進んだようですが、探題方の援軍として少弐・大友がやってきたため形勢が逆転したようです。
 そして武時公は袖ヶ浦まで退いて、武重公を肥後へ帰らせ後を託します。いわゆる「袖ヶ浦の別れ」ですね。ただ、袖ヶ浦の場所はよくわかっていません。西川中将は肥後へ帰らせることを考えると、冷泉津ではないかとしています。
 武時公が武重公に託した辞世の句は、このブログでも紹介したとおりです。

 武時公と共に戦死したのは子の三郎頼隆、隆寂(経重か)、義弟覚勝(寂正)。先ほどご紹介したとおり、覚勝は70人程で中庭まで討ち入り全滅したとされます。
 武時・頼隆・覚勝の3人の首は犬射馬場にさらされたとのことですが、それが4,5日後の事でしかも夜は隠したということから、西川中将は実は偽首ではないかと疑っています。

 武時公のお墓についてはこれもまたブログで紹介したとおり、七隈の菊池神社と六本松の菊池霊社ということになっています。

 これから70日後、今度はその少弐・大友らによって探題北条英時は自害します。「哀れなるかな」とは『太平記』の弁。

 次は山鹿にある武時公の供養塔について。

【文献】
西川虎次郎『博多と菊池寂阿公』
平泉澄『菊池勤王史』

法龍山遍万寺

 昨日ご紹介した宮ノ陣神社のお隣には、法龍山遍万寺があります。

 あ、自分のサイトは「偏」万寺になってる…。

 宮ノ陣神社での説明では、菊池武光公の弟・武邦が出家してこの梅のほとりに庵をむすんだのが始まりとされますが、まだ系図で見つけることができていません。正西と名乗ったというのはどの文献でみつけたんだっけ…。

 境内には「筑後川合戦之碑」が立ちます。

 裏にはご住職の名前が刻まれていますが、菊池さんなのですね。

 なお、一般的には「筑後川の戦い」と呼ばれていますが、合戦は筑後川を渡ってから行われたので、正確には大原合戦、大保原の戦いになるわけです。ここの石碑にも渡河して戦いが行われた旨は書かれていますが。
 しかし、ここまで筑後川の戦いで普及してしまうと、今更名称変更するのは難しいかもしれませんね。耳川の戦いみたいなものでしょうか。

 さて、いよいよ明日3月13日は…!?

【法龍山遍万寺】
久留米市宮ノ陣5丁目 Pあり


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宮ノ陣神社の将軍梅

 本日、宮ノ陣神社に行ってきたため、内容変更です。

 久留米市の「宮ノ陣」の地名は大原合戦(筑後川の戦い)で征西将軍宮・懐良親王が陣を置いたのが由来となっています。
 それにちなんで明治期に宮ノ陣神社が建立され、最初祭神は後征西将軍宮・良成親王、後に懐良親王も合祀されました。

※この写真は2010年1月18日撮影です。

 神社には懐良親王お手植えと伝わる「将軍梅」があります。
 この梅の見頃は3月上旬と、やや遅めです。
 2009年3月1日はこんな感じでした。

 他の梅は開花しているのに、将軍梅はまだまだです。

 そして今日がこちら。

 初めて咲いている将軍梅を観ることができました。若い木の方が元気が良いですね。

 メジロも喜んでいます。



 話が逸れたついでに、次回はこのお隣にあるお寺について。

【宮ノ陣神社】
久留米市宮ノ陣5丁目 Pあり


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大梁山大慈寺

 肥前の前に、大智の足跡を少したどることにします。
 大智は幼名を万仲といい、七歳の時に川尻にある大慈寺に入りました。

 敷地は広大、立派なお寺です。


 この梵鐘は大智の師匠・寒巌義尹自身が文字を刻んだとされ、国の重要文化財に指定されているそうです。

 師匠の寒巌とのエピソードは色んなところで紹介されていますので割愛しますが、幼い頃から頭のキレる「小賢しい」(寒巌談)がきんちょ様だったようです。

 境内には寒巌の廟があり、霊魂塔

 その背後には両親の供養塔があります。

 右が母、左が父とのことです。
 さらっと父と言ってしまいましたが、父は順徳天皇とされ現地説明版もその説を採っています。後鳥羽天皇説もありますが、年齢的に辻褄があわないようですね。
 寒巌の墓は宇土の如来寺にあるそうです。

 この寺の開基に関わった河尻泰明の墓もあります。


 大智はここで7年ほど学んだ後に元に渡るのですが、次回は帰国後加賀に開いたお寺について。

【文献】
徳富蘇峰「菊池氏の勤王と大智禅師」『純忠菊池公を忍ぶ』
阿蘇品保夫『菊池一族』
平泉澄『菊池勤王史』
『菊池市史』

【大梁山大慈寺】
熊本市野田1丁目 Pあり


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