3月23日、菊池武光シンポジウムの前に、菊池をウロウロしてきました。
まずはなんとなく
台城に行き、倉庫として使われたと言われる横穴群を見てきました。
桜には少し早かった…。
続いて東へふらふらさまよい、
菊池兼朝公墓と
菊池隆定公墓をお詣り。
桜には少し早かった兼朝公墓。
兄弟と並ぶ隆定公。
その流れで
神尾城。
阿蘇三社宮は持朝公の建立。
その後は
菊池神社と
城山神社にお詣りし、なんとなく空堀をウロウロしました。
まだ時間があったので、これまた何となく
城林城に行こうかと思いましたが、運転に怖じ気づいて素通りして
東山公園へ。
桜にはまだ早かった…。なお、古戦場に関する新たな看板が追加されていましたが、旧来の看板の内容に特に訂正はありませんでした。
その後はなぜかジョイフルで食事を済ませてシンポジウム会場へ。13時開場の13:30開始なのですが、既に13時前に駐車場は結構な混雑でした。入り口でクリアファイル入りの資料をもらいましたが、どうも予想以上の来場者数でクリアファイルは品切れになったとのこと。来場者は圧倒的に年配者が多く、ほぼ一般市民でしょう。
でもって、肝心のシンポジウムの内容ですが、率直に言って期待外れでした。
服部先生の基調講演は面白かったです。菊池氏のルーツを簡単に説明し、さらに蒙古襲来絵詞を使ったユニークな説明や、大原合戦を資料を使って説明しているので、一般市民もいくらかは興味も持てたと思います。
その後の3名のパネラーですが、工藤先生の内容は資料がない上に聞き取りづらい(今、内容を思い出すことができません)、猪飼先生の内容は戦前の菊池氏がどう顕彰されていたかというお話、貴田氏の内容は水運を用いた太宰府天満宮領のネットワーク、野焼きから武士団の営みを解き明かそうという内容。
学会発表ならば良かったのでしょうが、市民向けの、かつ【菊池武光】シンポジウムとはかけ離れた内容でした(とってつけたような「日本史を動かした肥後武士団の実像とは」というサブタイトルもありましたが)。正直に言うと、ディスカッションが始まって少しして退場してしまいましたので、その後面白い話があった可能性もあります。
ここであれこれ言っているだけではなく、ちゃんとアンケートには実名で同じ感想を書いてきました。「せっかくやってくれたのだから」と何でも「良かった」と答えがちなのは日本人の悪いところ。より充実したものにするためには、感じたことを率直に言わなければなりません。
次回があるのならば、大学教員・研究員に拘らず、堤克彦氏や阿蘇品保夫氏を登用して欲しいなと思います。