前回ご紹介した初代菊池則隆公による
春日神社勧請の際に、神護寺として建立されたのが春日寺です。かつては春日神社とセットで結構な規模を誇っていたようです。
後に衰微し、菊池の正観寺の末寺となります。さらに衰退していたのを、細川忠利が再興し、岫雲院の名が付いたそうです。そういう縁もあり、遺言で忠利はここで荼毘に付され、愛鷹二羽は火葬の炎、井戸にそれぞれ身を投じたとの言い伝えがあるとか。
初訪問は2009年9月だったのですが、ぶったまげました。
というのも…
どうみても人がいるようには…と言いますか、既に廃墟と化しているとしか見えませんでした。
則隆公が建てたお寺がこんな…と思っていたのですが、しっかり人はいらっしゃって、もう一つの目的だった大友兄弟のお墓も無事見つけることができました。
看板はなく、刻まれた文字も極めて読みにくいです。左が大友親盛、右が親家です。二人は大友宗麟の次男三男なのですが、長男義統が朝鮮出兵でやらかして改易されたため、細川家にやっかいになってたためここに葬られたようです。お寺の人によると、かわいそうなことに今や誰も訪れないとのことです。
また、細川忠利火葬場の標柱や、井戸につっこんだ愛鷹についての標柱もあります。
さて春日神社の時にも紹介しましたとおり、この地区、九州新幹線開通を機に再開発されています。春日神社はあの通り存続していますが、春日寺は新幹線から見ると、なんと消滅していたのです(墓石群だけぽつんと残る)。
ひどい、あんまりだと思っていたのですが、先月(2013年10月)ふらりと周囲を散歩してみると、なんと新築工事中でした。
大友兄弟の墓も残っています(場所が微妙に変わった気がするのは気のせいでしょうか)。
火葬場跡、井戸については工事が終わってから訪問して確認しようと思います。
【文献】
忘れました。
【春日寺】
熊本市西区春日3丁目 昔は駐車スペースがありましたが、今はどうなのか工事終了待ち
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