忍者ブログ

菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   
カテゴリー「神社」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

風浪宮の石灯籠が一基崩壊

 二年前に紹介した風浪宮を再訪してきました。久々の更新です。

 この日は午前9時前後。


 本殿は蒲池鑑盛寄進。

 ここには、正平十年に「菊池城主」が寄進した石灯籠がありました。
 立派な石灯籠なので、久留米藩主有馬氏が江戸屋敷に移送しようとしたところ、遠江灘で船が難破してなくしてしまいました。
 お詫びに代わりの石灯籠を奉納したということですので、現在の石灯籠の「菊池城主」もその時に刻まれたのでしょう。この時代ですので、推定みっくんこと菊池武光さんでしょうか。
 
○以前


○現在

 囲いの柵が立派になっているな、と思ってみていたら…
 中では一基崩壊しているやんけぇ!

 熊本地震の時でしょうか。当時の大川市長は補欠選挙出馬で頭がいっぱいで、この国宝級(当社比)の石灯籠の修復に手が回らなかったのでしょうかね。

 久々に更新したので、これを機に更新癖をつけたいところです。
PR

湊川神社

 前回、玉名の高瀬氏関連史跡を紹介すると言いながら、なぜ湊川神社かと思われるかもしれませんが、決して気が変わったわけではありません。流れ上、脱線してしまうかもしれませんが…。

 高瀬津は菊池川河川交通と有明海内海交通の結節点となる港でした。朝鮮や中国との交易拠点でもあり、後に高瀬津の権益を巡って、一族内でもめ事が起こっています。

 高瀬津をいつ頃から菊池一族が支配していたのか、正確にはよくわかりませんが、建武二年の菊池武吉寄進状が初見と言われています。親父の貢献から得た恩賞をきっかけに、勢力を拡大したと考えられています。
 ここで登場する菊池武吉とはどういう人物だったのか。菊池七郎と呼ばれるということは、推定武重公の弟です。しかし、肥後でどのような活動をしていたのかは定かではなく、彼の足跡として明確に残っているのは、湊川の戦いぐらいのようです。

 湊川の戦いの詳細は紹介しませんが、武重公が九州を留守にしていた時に筑前で多々良浜の戦いが起き、勝利した足利尊氏が九州の軍勢を引き連れて戻ってきたため生じた戦いです。武吉公は兄・武重公と上洛し、新田勢と行動を共にしていました。楠木勢のことを心配した武重公が、武吉公を楠木正成の元に派遣したところ、運悪く皆そろって自害する事になったそうです。皆を自害させて一人だけ帰るわけにもいくまいと、武吉公は律儀に一緒に自害しました。

 その自害した場所が、湊川神社の一角にあります。

 よく読み取れませんが、きっと「史跡 菊池武吉戦没地」とあるような気がします。え?モザイク?いや気のせいです。

 神社の方に声をかければ、案内してもらえます。自刃したのは「あのあたり」と指さしされたのがこちらです。


 そんなこともあり、湊川神社には武吉公が祀られ、墓もあります。

 楠木正成の墓でもありますが、細かいことは良いでしょう。

 武重公が上洛して何をしていたのか、気になるところだと思いますので、武重公の足跡を次回はたどってみることにします。やはり脱線しました。

 あ、社殿はこちらです。
 

玉名大神宮

 熊本出張の帰りに、玉名市歴史博物館の企画展「福島の菊池一族」に行ってきました。以前にも紹介しました、『探求菊池一族』のベースになった資料の展示です。

 その感想はさておき、玉名と言えば菊池一族関連史跡の宝庫です。今回は電車移動でしたので、バスと徒歩で少しだけ史跡巡りをしてきました。ということで、これを機にしばらくは玉名の史跡をご紹介していこうと思います。全部紹介していると、今年中には終わらない気もしますが…。

 今回は訪れていませんが、やはりまずは、実は全国の菊池一族が祀られている神社の中で、ある意味最もおいしい神社である、玉名大神宮です。何せ、初代則隆公から12代武時公までが祀られているわけですから、これ以上の贅沢はありません。菊池市の菊池神社城山神社のセットも強力ですが、両神社は顔ぶれは豪華ですが当主だけだと8人、こちらは人数は少ないですが当主12人です。

 説明板はこちら。少し大きめに。

 「玉依姫」が則隆公の娘ということになっています。


 玉依姫の墓碑もありますが、あまり大切にされている感じがしません。


 さて、12人の当主は、二つの末社に祀られています。まずは西末社。

 三代経頼四代経宗五代経直六代隆直九代隆泰十代武房十一代時隆十二代武時公がギュッと詰まっています。


東末社がこちら。

 玉依姫、初代則隆七代隆定二代経隆八代能隆公。こちらは少しゆったりしていますか。ただ、なぜ1,2,飛んで7,8をセレクトしているかはわかりません。


 両末社のおかげで、すっかり影が薄い本社。おそらく主神である…、誰だっけ?


 これで菊池24代の半分にお詣りできるわけですから、やはりお得ですね。

 次回は、玉名と言えばやはり高瀬氏なので、高瀬氏関連の史跡を予定しています。

七坪産神社

 前回染土城と同じく、源為朝伝説が残る神社が菊池にあります。

 それがこちら、七坪産神社です。染土城からそう離れていませんが、十八外城では葛原城の方がやや近いかもです。

 せっかくなので、サイトとは違う写真にしました。

 菊池にある菊池氏関連神社の中では、訪問難易度が高いです。とは言っても、高い山の上にあるわけでも、茂みの中にあるわけでもありません。単に、場所がわかりにくいだけで、私はたまたま出会った地元の初老の方に、一日史跡を案内していただいたので助かりました。

 さて、『菊池風土記』には、「1353年に菊池宗政なる人物によって建立されたと伝わるが、そんなやつは系図にはおらんし、神体の裏に1467年藤原宗政とあるので誤り」とあります。
 ただ、『菊池氏史要略』には1222年第七代菊池隆定公によるとあり、『菊池市史』にも隆定公とあります。共に出典はわかりませんが、どちらかが勝手に引用したのかもしれません。他にもそのような文献があったように思いますが、思い出せません。

 さてこの神社、祭神は源為朝の妻と6人の子供(男3・女3)で、なんと為朝の後妻の送った弓の名人(刺客?)によって射殺されたのを祀ったと伝わっているそうです。怖い怖い。
 しかも、神社近くの岩壁には、七人を射殺した矢が刺さってそれが残ったという矢竹群が最近まであったそうな。かつてここは「七坪村」だったらしく、「七」人が関係しているのでしょうか。
 隆定公の没年は1222年説がありますので、死ぬ前に「あの7人を祀っとかんといかん!」と思って建てたのでしょうか。

 次回は、近くの葛原城になる…のかも。

【文献】
『菊池風土記』『菊池氏史要略』『菊池市史』

【七坪産神社】
菊池市西迫間 Pなし。少し離れた舗装された道路に駐車して歩くと良いかと。

風浪宮

 城氏のお墓についてまた書くと言いながら、2ヶ月が経過してしまいました。今回もまた違う内容です。

 さて、5月7日の出来事です。所用でたびたび大川市に行くのですが、前々から車で通りがかる風浪宮という立派な神社が気になっていました。酒見城のすぐ近くです。
 天気も良いし、帰りに立ち寄ってみるかなとスマホで風浪宮のホームページをみていると、本殿は蒲池鑑盛が再建したものとのこと。蒲池氏と言えば、多々良浜の戦いで菊池方として戦い戦死しているから、無理矢理菊池氏関連史跡にできないこともないけどさすが強引だな…、と思っていると、

「この境内に、もと(正平十年)菊池城主の献進にかかる石灯籠一対がありました。後年これをみた久留米藩主はその美しさにうたれ、特に好んで江戸藩邸の庭に移そうとして遠江灘を航行中、難破の厄にあい沈没したため、神威を怖れ代灯を献じました。」

 見事に菊池氏関連史跡でした!遠江灘も菊池氏関連史跡になりますので、いずれダイブしなければなりません。

 ということで、早速お詣りに。

 門も立派。


 こちらが蒲池鑑盛再建の本殿。旧国宝で、国の重要文化財。


 そしてこちらがかわりに献灯された灯籠。

 
 ご覧の通り、「正平十年」「菊池城主」の文字が。

 当時は「菊池城」という呼称はおそらくなかったでしょうから(「菊池陣城」は書状に見えます)、久留米藩主有馬氏が「昔の菊池の当主」の意味で刻んだのでしょうか。
 正平10年と言えば15代菊池武光公の時代。その年は武澄公が無双状態で、かつ探題一色氏を追いだした年です。既にこの辺りも勢力下だったのでしょう。

【風浪宮】
大川市酒見 Pあり

より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後以外の九州) を表示

プロフィール

HN:
杜小路
HP:
性別:
非公開

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログ内検索

バーコード

フリーエリア

最新CM

[09/07 名無しのリーク]
[08/01 名無しのリーク]
[07/31 情報漏洩]
[05/23 NONAME]
[04/21 杜小路]

P R

Copyright ©  -- 菊池ごはん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]