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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   
カテゴリー「菊池十八外城」の記事一覧

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鷹取城(染土城)

 3ヶ月更新がないとかで、広告をTOPに表示されてしまいましたので、久々に更新です。本家も美星町の菊池神社を更新すると告知しておいて、放置してしまっていますが…。

 さて、前回五社尾城から反時計回りで、今回は鷹取城です。鷹取城は日本全国に多々存在しており、菊池氏が他に関係している筑前の鷹取城もありますから、染土城と呼んだ方が良いのでしょうか。深堀文書にも染土城とあるようですし。

 さて、今川了俊によって第17代菊池武朝公が隈府城を落とされた際、良成親王が籠もっていたお城とされます。かといって、常に親王がここに居たわけではないようで、本城の背後にあたる、比較的安全なこの城に一時的に居てもらったのでしょう。後に今川義範によって落とされますが。
 城として機能していたか怪しい城が多い十八外城ではありますが、城郭大系によるとここはちゃんと機能したようです。

 こんな感じで狭い主郭はの高台は切り落とされています。

 上から見るとこうです(上記写真と撮影した季節が違います)。畑の遺構なのかどうかは素人にはわかりません。

 なお、ここには例によって源為朝伝説があり、ここを居城としていたという伝承があるようです。供養塔らしきものもあります。

 せっかくなので、次回は菊池にある別の為朝伝説史跡について。

【文献】
『菊池市史』
『菊池風土記』
『菊池一族』
『城郭大系』
『菊池市の文化財』

【染土城】
Pスペースはあるが、邪魔にならないように。紛らわしい看板にも騙されないようにご注意。
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五社尾城

 珍しく余裕ができたので、5日に続いての更新です(本家の更新ネタがまだ残ってはいますが)。

 なんとなく、菊池十八外城シリーズに戻ります。
 なぜか古池城から始まり、反時計回りで掛幕城まで来ましたので、今回は五社尾城です。

 五社尾城は、登城難易度が十八外城の中では高めです。
 まずは場所がわかりにくいこと。さらに、十八外城の中では最も藪化していること。そして十八外城の中では最も急峻なことです。

 ただし、運が良ければ刈られたのか枯れたのか、藪が解消されていることがあります。 が
 こうなり、
こうなっていることも。
 最後の写真で、何となく十八外城の中ではやっかいなことがわかるでしょうか。

 わかりにくかった場所も、手前味噌ですが私の地図を見ればもはや難しくないかと。

 なお、遺構としては石垣があると説明板にはありますが、発見していません(その努力もしていませんが)。

 また、城主など詳しいことはわかっていないので、あまり再訪することのないお城でもあります。石垣発見情報を他力本願で待っています。

【文献】
菊池市の文化財

【五社尾城】
菊池市雪野あたり。Pは看板近くに可能。

掛幕城

 菊池十八外城を続けます。掛幕城は柏氏代々の居城で、阿蘇・日田方面へ備えた城とされます。
 「城床」という地名と、堀切らしきものがありますが、城郭大系は「城らしくない城」と言い切っており、砦跡だろうとしています。『菊池市の文化財』もそれに倣っている感じです。


 これが「城床」で、城趾碑が埋もれています。草が刈られていれば、下のように簡単に見つかりますが…。

 城郭大系には眺望が遠くまで可能とありましたが、現在はご覧の通り藪で眺望は期待できません。「城床」は城郭大系にあるように、加工の痕跡は確かに見つかりませんでした。


 これが「城床」に入る直前に出くわす堀切で、「城の堀」と現地の人は呼ぶそうです。現地の人と言っても、周囲に人の住んでいる気配はありませんが…。
 これが「城床」をぐるりと120m走っているのですが、無駄に長い気がします。城へのアクセスは2通りほど確認できましたが、その一つはこの堀切を道として使用します。

【文献】
『菊池風土記』
『城郭大系』
『菊池市の文化財』

【掛幕城】
菊池市原 北側の鉄塔付近に駐車可能。

市成城

 久しく更新していないので、何を書いたものかと考えたのですが、何となく菊池十八外城について続けて行きたいと思います。これまた何となく反時計回りに取りあげておりますので、今回は市成城です。
 市成城は、場所がわかってしまえばアクセスの良い菊池十八外城の中で、おそらく最も体力を消費する城ではないかと思います(それでもゆっくり歩けば、たいしたことはありません)。
 菊池渓谷中央駐車場の奥に、説明板と登城口があり、そこから山道を歩くこと10分程でしょうか、それまで城の雰囲気を全く感じることがないのに、いきなり平坦地にたどり着きます。

 藪の中には城趾碑が埋もれています。 

 と、これだけです。特に遺構は見当たらず、『菊池市の文化財』『城郭大系』にもそのように説明されています。一応平坦地はありますので、豊後方面に備える小さな番所みたいなものだったのでしょうか。草を刈った写真を見ると、見晴らしはそこそこ良いようですので。

 ともかく、そこそこ体力を消費する割には見所は少なく、菊池スキーか、お城をスタンプラリー感覚で回る人にしかお勧めできないかと思います。

【文献】
『菊池風土記』
『菊池市の文化財』
『城郭大系』

【市成城】
菊池市原 菊池渓谷中央駐車場の奥に駐車。
※地図が新しくなってから、地図をうまく貼り付けられません…。これももっと拡大した地図を貼りたかったのですが。

黄金塚城

 なんとなく反時計回りに紹介している菊池十八外城シリーズ、前回の元居城から南東にある黄金塚城です。

 黄金塚城は総(惣)谷氏、平山氏が入っていたとされます。平山氏とは、平山城の平山氏でしょうか。

 看板もありアクセス自体は容易で、河原川沿いの丘陵に位置しています。

 丘陵の上に城趾碑、説明板があります。

 説明板等によると、豊後阿蘇方面では市成城の後備として機能したと考えられています。
 説明板近くには石碑が並びますが、これは明治期に城趾を祀るために建てられたものとされ、「菊池北神」「北野虎雄神」「菊池黄金大神」「菊池北野人吉守」などと刻まれているらしいですが、よく読めません。かつてはここからもっと下にあったようです。


 段々畑がもしかして曲輪の名残なのかな、と思っていたのですが、後で読んだ何かの本でそのように説明されていた記憶があります。しかし、城郭大系でもないので、何の本だったか記憶は定かではありません。

 ご覧の通り、段々畑越しの眺望は良いです。豊後阿蘇方面に目を光らせるには悪くない場所なのかも知れません。

【文献】
『菊池市の文化財』
『日本城郭全集』

【黄金塚城】
菊池市四町分岩平 Pなし。南東に路駐可能なスペースあり。

より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後) を表示

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