菊池十八外城シリーズ、反時計回りに紹介していますが、
戸崎城の続きはそこから北東に位置する元居城です。「もとおり」「もとい」など読みは文献によって違いますが、「茂藤里」城とも言われると言うことは、「もとおり」なのでしょうか。
そこまで登城難易度は高くないのですが、発見できなかったお城仲間さんもいらっしゃいました。あまり意識したことはありませんでしたが、看板に惑わされたようです。
この看板を見つけることができればもう大丈夫です。竹藪に突っ込んでいけば(といっても、道がちゃんとあります)間違いありません。
竹が乱立していますが、その奥に一段高くなっているところがあります。
そこに城趾碑があり、看板が新設されています。ここが主郭でしょうか。
非常にこぢんまりとした作りですが、
掛幕城の詰の城であり、日田方面からの敵に備える拠点とされています。
土塁、空堀が遺るとする文献もありますが、まだみたことがありません。今度ちゃんと探してみます。
伊倉氏が代々居城したとされますが、伊倉氏とは第7代
菊池隆定公の5男、伊倉七郎定直を祖とし、この城も彼が築城したとされます。彼の墓が主郭には立っています。
なんか新しい…、なんて思ってはいけません。
【文献】
『菊池風土記』
『菊池氏史要略』
『日本城郭全集』
【元居城】
菊池市茂藤里から重味にかけて Pなし(マーク西のY字路あたりに駐めるのが良いかと)
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