3ヶ月更新がないとかで、広告をTOPに表示されてしまいましたので、久々に更新です。
本家も美星町の菊池神社を更新すると告知しておいて、放置してしまっていますが…。
さて、
前回の
五社尾城から反時計回りで、今回は鷹取城です。
鷹取城は日本全国に多々存在しており、菊池氏が他に関係している筑前の
鷹取城もありますから、染土城と呼んだ方が良いのでしょうか。深堀文書にも染土城とあるようですし。
さて、今川了俊によって第17代
菊池武朝公が
隈府城を落とされた際、良成親王が籠もっていたお城とされます。かといって、常に親王がここに居たわけではないようで、本城の背後にあたる、比較的安全なこの城に一時的に居てもらったのでしょう。後に今川義範によって落とされますが。
城として機能していたか怪しい城が多い十八外城ではありますが、城郭大系によるとここはちゃんと機能したようです。
こんな感じで狭い主郭はの高台は切り落とされています。
上から見るとこうです(上記写真と撮影した季節が違います)。畑の遺構なのかどうかは素人にはわかりません。
なお、ここには例によって源為朝伝説があり、ここを居城としていたという伝承があるようです。供養塔らしきものもあります。
せっかくなので、次回は菊池にある別の為朝伝説史跡について。
【文献】
『菊池市史』
『菊池風土記』
『菊池一族』
『城郭大系』
『菊池市の文化財』
【染土城】
Pスペースはあるが、邪魔にならないように。紛らわしい看板にも騙されないようにご注意。
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