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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   

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春日神社(熊本市西区)

 前回に引き続き、菊池一族が建立した春日神社。今回は初代菊池則隆公が現在の熊本市西区春日に建立した春日神社です。
 この地に春日寺を開いた際に則隆公が奈良の春日神社から勧請したのは1071年とのことです。

 奈良の春日神社は…

 たいそう立派です。

 則隆公の春日神社はというと…

 2011年2月はこのようなお姿でした。九州新幹線開通の影響でしょう、熊本駅周辺は絶賛再開発中だったのでした。おかげで鳥居は…

 宙に浮いちゃっています(後方に見えるのがJR熊本駅)。このままでは則隆公ゆかりの神社の存続が危ういと思っていましたが…

 現在は鳥居も移築され街中にポツンと残されています。則隆公も一安心と言ったところでしょうか(公民館と併設になっていますが)。

 熊本県のホームページによると、神社の所在は元々「今の所在地より東の岫雲院門前の広場になっている所」だったとのことです。「岫雲院」とは、則隆公が開いた春日寺のことで、後に細川忠利が春日寺を再興したときに名付けました。

 次回はその春日寺について。

【春日神社】
熊本市西区春日4丁目 Pなし

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春日神社(玉祥寺)

 ずいぶんと久しぶりの更新になりました。
 この間、菊池にも行けず、しかし毎年恒例になりつつある沖縄のグスク巡りをしてきましたが、前回の予告通り玉祥寺の守護神として建てられた(かもしれない)春日神社をご紹介します。

 隈府の街から迫間川を渡ると玉祥寺なのですが、橋を渡る前に興味深い市営団地があります。

 冠木門があるのみならず、それぞれの棟には菊池十八外城の名前がついているのです。もちろん、18棟もありませんが。

 さて橋を渡るとすぐ春日神社があります。

 玉祥寺の守護神として建立されたのではないかということは、第20代菊池為邦公によるのか、それ以降なのでしょうか。詳しいことはわからないようです。
 その玉祥寺との距離は…

 ご覧の通り、目と鼻の先です。

 春日神社と言えば、熊本市内にも春日神社があります。それはなんと初代菊池則隆公による建立です。
 ということで、次の更新はいつになるかわかりませんが、次回はその春日神社について。

【文献】
『菊池氏史要略』

【春日神社】
菊池市玉祥寺 わずかにPスペースあり


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江月山玉祥寺

 前回ご紹介した袈裟尾山北福寺、後に江月山玉祥寺の末寺となったのですが、今回はその玉祥寺についてです。


 玉祥寺は享徳元年、第20代菊池為邦公によって建立されました。開山は竺庵仲欠によります。『菊池風土記』によると、ここには為邦公の兜の前立てである、狐の尻尾があったとか。

 山門をくぐって少しだけ坂をあがるとこちらに出ます。


 傍らには菊池万句の碑が建ちます。

 菊池万句は第21代菊池重朝公によって開催されたもので、20カ所99人が参加しています。発句が重朝公の「月や知る十代の松の千々の秋」です。一カ所につき500句も詠むとは、最後の方は頭がぐちゃぐちゃになっていたことでしょう。中には嫌々ながら参加させられた人もいたんじゃないか。

 戻って山門の西側には、為邦・重朝親子の墓があります。

 左が重朝公、右が為邦公です。為邦公のお墓は碧巌寺にもありますが、それはまたいずれご紹介ということで。
 第19代菊池持朝公の姉や赤星武統の墓も玉祥寺にかつてはあったようですが、今はどこにあるのだろう…。ちょい南にある五輪塔が怪しくて仕方がないのだが…。

 次回は玉祥寺の守護神として建てられた(かもしれない)神社について。

【文献】
『菊池風土記』
『菊池氏史要略』
阿蘇品保夫『菊池一族』

【江月山玉祥寺】
菊池市玉祥寺 Pなしもスペースあり。北にあるのかもね。


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袈裟尾山北福寺

 菊池五山のうち、西福寺しか紹介していないのもなんだか気持ち悪いので、北福寺をご紹介します。



 袈裟尾山北福寺は弘仁年間に伝教大師、つまり最澄さんによって開かれたという。
 なんでも『菊池風土記』によると、何とわざわざここまで来て修行していたところ、袈裟と黄金の錫杖が空から降ってきて松の木にひっかかったので、その松を釈氏松と呼び、袈裟尾山永福寺を開いたという。
 結構な規模を誇ったようだが廃寺となったのを、第10代菊池武房公が再興したという。武房公の墓もここにあったんじゃないだろうな…。


 そして第15代菊池武光公が菊池五山を制定した際、北福寺と改称されたという。第21代菊池重朝公の時代には玉祥寺の末寺になったという。玉祥寺についてはいずれ。

 なお、上の写真に右隅に五輪塔があるのがわかるでしょうか。

 これは建武2年に13歳で死去した「藤原力丸」の墓であり、一族格ではないかと言われています。建武2年に13歳と言うことは、大雑把にいくと生年は1322年ぐらい。ということは、武時公の子だったり、もしかしたら武重公の子だったりする可能性もなきにしもあらずか。違うのだろうけど。

【文献】
『菊池風土記』
『菊池市の文化財』

【袈裟尾山北福寺】
菊池市袈裟尾 Pなしも門前にわずかに駐車スペースあり。


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神来貴船神社

 前回の「清水=やけ」に引き続き、菊池の難読地名紹介です。
 今回の難読地名は…

 神来

 です。
 堤克彦氏によると、これは難読地名の中でも横綱格らしいですから、初めてでこれを一発で読める人はまずいないでしょう(答えは最後に)。

 さて神来は字名として残っているのみで、この地の住所は現在「菊池市野間口」になっているのですが、神来貴船神社がたっています。

 屋根には並び鷹の羽、土台の石には違い鷹の羽紋がみえます。


 この神社は、初代菊池則隆公が京都の貴船神社の末社として1072年に勧請したとのことです。北を流れる迫間川流域の開発をスムーズに進めるために勧請されたのではないかと堤氏は分析しています。

 さて、神来の読みの答えです。
 正解は「おとど」でした。由来については堤氏が詳しく考察なさっていますので、そちらをご覧下さい。

【文献】
堤克彦『郷土史譚100話 菊池』

【神来貴船神社】
菊池市野間口


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