またまた予定変更で、本日の名護屋城陣屋めぐりについてです。
関西からやってきたお城仲間さんのリクエストで久々の陣屋めぐりでした。
まずは後期石田三成陣屋。ここは初訪問。土塁が残るということでしたが、私有地で整備もされていないためよくわかりませんでした。
唯一の手がかりは地元の人が立てた「こっちだよ」看板と…
三成地蔵尊!!!そして何故か違い鷹の羽!!!
何となくこの辺が陣屋だったという伝承が残っているという証左でしょうか。
なおこの三成陣、名護屋城から南に結構離れています。教育委員会の方は「南方の重要拠点を任された」ということですが、とある三成を日本一愛する方によると、「あまりに秀吉に厳しいこと言うから遠ざけられた」とのことです。
お次は前田利家陣屋を再訪。
こちらは藪が刈られて見やすくなっています。
そのまま名護屋城へ移動。桜が良い感じで散っています。
矢穴にポキンと折れたまま残った金具。
木下延俊陣は省略して、お次は生駒親正陣屋。これも再訪。
やけに新しい石塁が残りますが、三成を日本一愛する方によると、元々は石田三成陣だったとのことです。
北条氏盛陣屋を再訪しましたが、2008年12月30日に訪問したときは海沿いのこれかと思っていましたが…
今回訪れたこちらの方がそれらしいような気がします。
ご近所の増田長盛陣屋も再訪。
旗竿石らしきものは新発見。
島津義弘陣屋は藪が減って見やすくなっていました。
広さはもちろん、それをたくさんの石材を使用して区画化してるのに驚きます。
でもって、直江兼続陣屋。こちらは天地人効果で整備されたと聞いていましたが、なるほど以前よりは見やすくなっています。
こちらが2008年12月30日の写真。
そしてこちらが本日撮影。
藪はどこ行った!
隅っこの石垣もご覧の通り見やすくなっています。
お隣の上杉景勝陣屋はむしろ新しい畑で接近が難しくなっていました。ですので、2008年12月30日の写真を。
しかし本当に遺構なのか地震がありません。
本日は以上でした。この先もっと各陣屋が整備されるようになるといいですね。