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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   

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肥前家と菊池惣領家

 肥前家は第15代菊池武光公の非常に良くできたお兄様・菊池武澄公を祖とします。
 北方謙三の『武王の門』では弟設定されていますが、一般的に武澄公は六郎、武光公は十郎とされ、武澄公を弟とする系図は見たことがありません。弟設定しなければ武光公がかすんでしまうほどの戦歴を残した御仁です。
 武澄公については改めてご紹介しますが、第12代菊池武時公のご活躍の恩賞として、武澄公に肥前守が与えられたとされます。

 そもそも菊池家と肥前との関係は以前から深く、第5代経直公は肥前杵島郡長島庄の荘官職を持っていました。武澄公に始まる肥前家は、肥後北部の玉名庄を中心に島原半島にも所領を有していました。
 武澄公の子・菊池武安公は武光・武政・武朝の三代に仕え、千布・蜷打の戦いで戦死しました。武安公の子・菊池武照公は「鬼肥前」と呼ばれ(たかもしれない)、今川勢を重要拠点の台城に迎えて戦うなど、惣領家を支えています。

 その後、一度武澄公の嫡流は途絶えますが、第19代菊池持朝公の子・菊池為安公(=第20代菊池為邦公の弟)が肥前家を継ぎます。
 為邦公の時代、筑後守護職を巡る菊池vs大友の争いが起こり、為安公は高良山で大友勢と戦い戦死、第22代菊池能運公の時代の家中争いでは為安公の子・菊池重安公は能運公方として玉祥寺原に戦い戦死するなど、惣領家を支え続けたのが肥前家でした。
 そして子がいなかった能運公が死に際して後継者に指名したのが重安公の子で再従兄弟にあたる、第23代菊池政隆(政朝)公だったのです。

 さて、一族の結束が乱れ家中争いが相次いで起こり、それに一時破れた第22代能運公、第23代政隆公、第24代菊池武包公と三代続けて肥前家領の島原に逃れて再起を図っています。
 平家、源義経、足利尊氏、その他たくさんの人物が「九州に逃げれば何とかなる」と思った(かもしれない)ように、菊池惣領家も「島原に逃げれば何とかなる」と思ったのでしょう。成功したのは能運公だけでしたが…。

 ということで、次回から肥前の菊池一族シリーズ開始です。

文献 阿蘇品保夫『菊池一族』 菊池市『菊池市史』
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今日は何の日-菊池能運公のご命日

 文亀4(1504)年2月15日は第22代菊池能運公のご命日です(2月13日もとある方の命日でしたが、うっかりしていました)。
 
 写真は菊池神社蔵の能運公像です。菊池一族で現存する数少ない肖像画の一つで、百年忌の1603年に描かれたと伝わります。ネットから拾ったもので、撮影禁止の宝物館で撮影したわけではありません。

 能運公は武光公からの嫡流最後の当主で、父・重朝の跡を継いだのは1493年、12才(14才とも)の時でした。
 ただでさえ若いのに、その上、父・重朝の数々の失態の尻ぬぐいをせねばならなかったわけですから、それは大変な苦労をされた人物です。
 まだ10代で相良為続から豊福城を奪い返し、天草を支配下に置いたまでは良かったのですが、重臣の「隈部退治」を目論んだ玉祥寺原の戦いでは一族をうまくまとめることができず大敗を喫し、島原に逃れました。この時、「武運」が「不運」に繋がり縁起が悪いと、「能運」に改名しています。
 不在となった家督の席には、家中「老弱一味同心」(『五条文書』)で大叔父の宇土為光が推戴されたのですが、宇土為光は野心からずっと家督を狙っていたのだと誤解されがちなかわいそうな人物です。

 さて能運公は相良長毎(為続と違い能運を支持)や菊池に残る家臣の支援を受け高瀬に上陸、為光との合戦に勝利し、為光は後に自害、能運公は隈府に復帰します。
 改名の効果覿面、さてこれから…と言うところでしたが、高瀬での傷が元で、1504年の今日死去したのです。家督相続からわずか11年、12才家督相続説を採るなら、23才でした。墓は正観寺の実相院にあり、夫婦の墓と言われます。

 さて能運公、どうやら奥さん(隈部武治の女)はいたようですが子供はなく、再従兄弟の菊池政隆(肥前政朝)に守護職を譲ると言い残したのですが、菊池氏の正統が途絶えたこともあり、菊池家は衰亡の一途をたどることになるのです。

 なお、能運公は島原に逃れる際、弟の重房に子・重為を託して米良に逃し、米良菊池の起源となったとも言われます(諸説ありすぎ)。かの菊池武夫はその子孫を称しています。

 たぶん次は能運公も頼った島原の肥前家との関係について。

文献 堤克彦『郷土史譚100話 菊池』 阿蘇品保夫『菊池一族』

【正観寺実相院 菊池能運公墓】
菊池市隈府(菊池グランドホテル南側) 墓前に駐車スペースあり


より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後) を表示

今日は何の日-羽生七冠制覇

 17年前の今日、1996年2月14日、羽生善治六冠が王将戦第四局で谷川浩司王将に勝利し4-0で王将位を奪取、前人未踏の七冠制覇の偉業を達成しました。え?バレンタイン?なんですかそれ。

 羽生フィーバー、懐かしいですね。

 実はこの七冠制覇、一度は潰えたと見られていました。というのも、さらに一年前初の六冠王となった羽生六冠は、七冠目を賭けて谷川王将に挑戦し、フルセットの末3-4で挑戦に失敗しています。阪神大震災で被災した谷川王将の見事な防衛でした。
 さすがにそこから6つのタイトルを防衛し、さらに王将挑戦権をまた獲得するなんて、いくらなんでも羽生先生でも無理だ、七冠は夢に終わったとほとんどの人が思ったのですが、なんと6つのタイトルをすべて防衛し、さらに王将挑戦権も獲得したのです。そして結果は冒頭の通り。

 あれから17年、獲得タイトルは既に歴代最多の83期、42才で未だに3冠保持ですから驚きです。

 さて、囲碁界では井山裕太五冠が六冠目に挑戦中です。井山フィーバーが果たしてくるかどうか。
 なお、井山五冠の奥様は女流棋士の室田さんです。
 昨年夏、新婚の室田女流初段と。

 明日も今日は何の日?について。

名取市の増田神社

 どの文献で探し当てたのか記憶が定かではないのですが、名取市に菊池一族が建立した増田神社があります。有名な唐津の増田神社(なお、増田敬太郎は菊池出身!)とは無関係です。

 現地説明版によると、1444~1448年「菊池武光の一族である菊池豊後」が生まれ故郷の大和国「城上郡笠山の社(つまり奈良の笠山荒神社)」から分霊して手倉田に祀ったのが始まりで、後に「菊池左馬介」の代に現地に移ったとのことです。
 この大和生まれの菊池豊後とはいったいどのような人物なのでしょう。1440年頃といえば19代菊池持朝公の時代ですが、説明版の言うとおり武光公の子孫なのか、単純に有名な武光公の名前を挙げているだけで単に菊池一族であるのか、いずれにしろ私には皆目見当がつきません。

 ともあれ、後の葛西大崎一揆では、蒲生氏郷や徳川家康が戦勝祈願を行ったり、朝鮮征伐の折に伊達政宗が武運長久を祈願したとのことです。

 さて、奥州の菊池氏関連史跡の写真もほぼネタがつきてしまいました。
 ついでに八戸市の櫛引八幡宮をご紹介して奥州シリーズを終わりたいと思います。

 南部氏の祈願所であるこの神社には国宝の甲冑2つと重文の甲冑2つ所蔵されていますが、重文の「唐櫃入白糸威肩赤胴丸」の「唐櫃」には「菊『地』武義」「応永24年」と署名されています。
 菊「池」武義公といえば武光公の弟で、15代武光公の時代には長者原で戦い、さらに16代武政公、17代武朝公と三代をサポートし千布蜷打で戦死した人物です。応永24年にはすでに武義公はこの世にはいないですし、まぁまず別人なのでしょう。
 が、遠く青森にも一族の足跡らしきものが残っているのは嬉しいものです。

 明日は2月14日は何の日?について

【増田神社】
名取市増田2丁目 Pあり

【櫛引八幡宮】
八戸市八幡八幡丁3 Pあり

陸奥太田代城

 前回ご紹介した青篠城から南約8キロに太田代城があります。
 現地説明版には「大」田代城とあるのですが、今回は城主の太田代氏に準じてとりあえず太田代城とします。

 比高50m程度の小さな山城で、主郭の周囲に小さな腰郭を備えたこれまたシンプルな造りで、主郭には五十瀬神社が建ちます。


 腰郭には木々が乱立しています。


 土塁が一部残っていますが、林道によってぶった切られ、一見虎口のように見えます。


 冒頭の説明版にあります通り、青篠城主菊池恒邦の子・太田代伊予が城主を務めました。
 天正15年(1587年)、主君江刺重恒が葛西家に対しに謀反を起こそうとしたのを父子で諫言したため攻撃を受け、太田代伊予は戦死したとされます。実直な一族ですね。

 その子孫は遠野に逃れたとか、後に奥州仕置の際に葛西氏と共に南部家に仕えたとか。

 次回は菊池一族が奥州に建立した神社について。

【陸奥太田代城】
奥州市江刺区田原高根下 Pなし。五十瀬神社北東部道路沿いの案内板近くに駐車可能か

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