1/31、倭城でもお世話になった黒田慶一さんにひっついて名護屋へ行き、名護屋城博物館の市川さんと長﨑さんに、発掘調査中の徳川家康本陣を案内していただきました。
ポイントは2つです(たぶん)。まず
有名なこの石垣、表面のはつり仕上げがとても文禄・慶長期にみえないとのこと。
下記も同じだったかな。
上部の細かい石は、後世積み上げられたもので、下にはもっと石垣が埋もれていると考えられます。
そして現在発掘中なのが、主郭、北郭の間のこちら。
階段が発掘されています。
ただ、市川さんにも二つ不可解なことがあるとのこと。
まずこれも石の表面が文禄・慶長期のものではないこと。そして、そもそも階段の位置そのものがおかしいこと。
黒田さんと色々とお話しをされていましたが、結局結論はどうだったのかきれいさっぱり忘れてしまいました。
なお、埋もれている食器類は、残念ながら新しいものばかりのようです。
黒田長政陣と前田利家陣をご案内いただき、福岡に戻りました。
こちらがタイムリーな長政陣。
こちらは利家陣。
そういえば、官兵衛ゆかりの城という幟がたち、訪問客も増えたらしいですが、そもそも官兵衛が縄張りを行ったという一次資料はなく(黒田マンセーの黒田家譜ぐらい?)、困惑しているそうです。
縄張りを命じられたのは小西行長・加藤清正・黒田長政という一次資料も、「長政」は黒田ではなく浅野説もあるらしいですね。
なお、予算がついたので今後発掘が進められるのは、家康陣以外では島津義弘陣と、あともう一つはどこだったかな…。