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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   
カテゴリー「その他の史跡」の記事一覧

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中村晋也(菊池武光公騎馬像制作者)美術館に興奮

 またも更新が滞ってしまいました。あけましておめでとうございます。
 12月以来、菊池に行けない日々が続いておりますが、今年はもっと菊池らしい一年にしたいと思います。

 さて、先週は所用で鹿児島に行ってまいりました。
 菊池一族である西郷隆盛が大河化されるということで、鹿児島の飲食店の人々は、篤姫時のような経済効果を期待しているようでした。
 ただ、私が先週鹿児島で出会った人々の中で、西郷どんが菊池一族であることを知っている人は皆無だったのが残念なところです。

 さて、鹿児島と言えば、懐良親王に縁のある土地ですが、鹿児島は菊池市民広場のみっくんこと菊池武光公像の制作者、中村晋也さんが長くお住まいになっている地でもあります。
 氏の美術館があると言うことは知っていたのですが、なかなか訪れる機会に恵まれず、今回ようやく念願を果たしてきました。
 いやぁ、すごい所でしたよ。今回は写真のサイズ大きめでおおくりいたします。

 美術館に入るといきなりこれですから。 

 いきなりテンションが上がります。


 ぎぇー、みっくんに踏みつけられる(踏みつけて!)!

 そこそこの高さの台座の上にいるみっくん像を、ここでは目の前にみることができるのです。
 もちろん、お馬さんに足蹴にされることも可能です。

 これは嫌だな。

 先に進むと、菊池みにみつ君もいます。

 タイトルは「南朝の武王」です。『武王の門』の武王って、みっくんの事なのか懐たんの事なのか深く考えたことはありませんが、みっくんなんですかね?

 さらにその先には、秀頼さん。
 
 これにしたって、台座の上にあるやつですので、こんなに間近でまじまじと見ることはできません。

 奥もすごいですよ。

 伊集院駅前の島津義弘像を間近に見ることができます(みにひろ像もあります)。このアングルからはここでしか不可能です。
 みっくん同様、お馬に足蹴にされるー、の写真も撮影可能です(ここでは割愛)。

 一番奥は…

 大久保利通、種子島時堯、太宰治、篤姫、五代友厚、藤堂高虎、見えないけど片倉景綱と並びます。大久保像はかなりの迫力です。

 そして、二階からはみっくん像を見下ろすこともできます。

 いやー、どこから見てもまじでイケ武者ですわ(兜の並び鷹の羽紋が少しズレている気もしますが、錯覚でしょう)。さすが日本一の騎馬像。
 この像のおかけで、かなりみっくんのイメージは得していると思います。
 これが結城○康像ぽかったらと思うと、ぞっとします。良い人選でした。

 美術館ではバッジを売っていたのですが、残念ながらみっくんバッジはありませんでした。かわりに義弘バッジを2つ購入しました。

 みっくんファンの方は、是非とも訪れてみっくんをガン見して下さい。
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鯛生と菊池

 鯛生金山を訪れた際に、前回ご紹介した菊池七人塚に出くわしました。
 その時は雨天でしたが、もう鯛生金山に来ることもないだろうから…、と車を停めたのでした。しかし、鯛生金山のトイレに財布を忘れてきてしまっため、翌日再度訪れることになりました(財布は親切なバスの運転手さんが届けてくれていました)。
 ならばせっかくなので、近辺の菊池一族に関係する史跡に行くことにしたのですが、そもそも「鯛生」という地名そのものが、菊池一族と関係があるのです(以下、サイトに掲載している内容とほぼ重複します)。
 1334~1339年ごろ、ここの豪族だった田島舎人という人物が、菊池氏から嫁を迎えることになったそうです。誰の娘さんかはわかりませんが、第13代菊池武重公の頃ですね。
 なお、田島氏の子孫は今でもこの地に住んでいるようで、立派なお屋敷があります。


 さて、推定武重公は、田島さんに何か珍しいものを贈ろう考えたらしく、生きた雌雄の鯛を引き出物にしたそうなのです。しかしこの地に着くと、鯛が躍り上がり別々の岩石に付着してしまいました。この雌雄が互いに向き合った岩を鯛生岩と呼ぶようになった、というのが「鯛生」の由来だそうです。

 その2つの岩ですが、現在は一つしか残っていません。

 これが「雄岩」だったと思います(※金山の説明書きでは雌岩になっていた気がしますが、後のエピソードのように、たしかにこの敷地のご老人はこちらを「雄岩」と言っていた記憶があります)。敷地のご老人によると、雌岩もかつては少し離れた所にあったそうです。

 このあたりに雌岩はあり、その上に木が被さっていたそうです。その木が嵐で倒れたときに、何も知らない若い人たちが動かしてしまい、どれかわからなくなってしまったそうです。
 ところで、ご老人にからは、ご先祖から聞いたという別の由来も教えていただくことができました。記憶が曖昧ですが…。

 信濃の豪族がこの地に落ち延びてきて腹を切った。その人物は鯛の木彫りを抱えており、その自刃の地が後に「雄」岩となった。ここまでは何となく記憶に自信があります。そして、後にこの地にその妻がやってきます。妻は夫がここで死んだことを知り…
a.自らも自害し、それを悼んで地域の人々が祠を建てた場所が雌岩。
b.夫を弔うために祠を開いた場所が雌岩。
c.そもそも夫の消息がわからず祠を開いて生活した場所が雌岩。
 三つのどれだったか、それともこれらがミックスされていたのか、記憶が曖昧です…。

 ということで、次回もさらに脱線を続けて、付近の菊池氏関連史跡をもう一つ。

【鯛生岩】
日田市中津江村合瀬 雄岩は個人の敷地内です

御上石

 久々の更新ですが、例によって菊池を全く訪れていない不忠者です。

 さて、今日放送された「タビ好キ」(九州ローカル)で登場した「はぜの木館」と「侍茶屋」、見覚えがあると思って調べてみると、秀吉が九州征伐の際に座ったか上ったという「御上石」を2012年5月に訪れたときに(看板には細川とありますが、『太閤道伝説を歩く』では秀吉と紹介されていたはず)、侍茶屋の駐車場に車を停めていました。
 当時はラーメン屋という認識はなく、当然駐車場とも認識しておらず、良い駐車スペースがあったという感じでした。


 はぜの木館には休憩所があった記憶がありましたが、入りませんでした。
 全く人通りのない場所でしたが、そのようなところにもロケに行くのですね。元々気になっている番組ではあったのですが、ちょっと見直しました。

赤星有隆屋敷

 今回は赤星有隆屋敷のご紹介です。
 なぜ赤星有隆屋敷にしたかというと、前々回6/15の内容が延寿太郎「屋敷」、さらにその前の6/10の内容が「赤星有隆」墓がある西福寺だったからです。

 全国民が知っているように赤星有隆は赤星氏の祖であるわけでして、由来は文永の役で有隆公が敵将と格闘して捕縛した際に返り血で甲冑が赤く染まったから、という説もありますが、これは「真っ赤」なウソであります。それ以前からこの赤星庄は存在していたわけですから。

 その赤星有隆屋敷は『菊池風土記』に説明があり、「はいたか天神の後の通り」とあります。

 たしかに赤星菅原神社の背後(北側)の通りに石碑が建っています。

 続けて『菊池風土記』によると、赤星重隆が守山城に入るとき、推定家臣に屋敷を譲り、その子孫が代々住み続けたと言います。他の姓の者が住むと「異人があらわれ追いかけられる夢を見る」という幽霊屋敷であったようです。今お住まいの人は大丈夫なのでしょうかね。

 なおこの石碑は昭和56年建立のようで、姓が「○野」さんの名前が複数刻まれています。どうやら教育委員会などではなく、個人による石碑のようですから、本当にここだったのかどうかは私にはわかりません。

【文献】
『菊池風土記』

【赤星有隆屋敷】
菊池市赤星 Pなし


より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後) を表示

延寿太郎屋敷

前回ご紹介した西福寺から西に約200mに八坂神社があります。

 現地には教育委員会が設置した説明板が二つあり、それらを要約すると次のようになります。

 この八坂神社の祭神は延寿国村とその父・弘村で、1600年創立。なぜ刀工延寿が祀られているのかというと、この一帯には延寿国村の屋敷があったとされるのです。
 延寿弘村を招いたのは菊池武房公で、1270年であったとのことです(川添昭二氏は元弘の頃としていますが)。弘村は菊池延寿、国村は延寿太郎と号し、ここに屋敷を構えました(まずは合志郡竹迫という説あり)。
 この時、京都の八坂神社から奉戴した銅鏡を祀ったのが神社の始まりだったのですが、その後菊池氏の没落と共に神社も廃れ、銅鏡は刀工達に守られ1600年に再建し弘村・国村を祀ったとか。

 境内には井戸跡が残り、

 周辺には子孫である延寿国信の墓や、

 (この中のどれか)

 藤原左京と右京の墓があります(国村の子孫?)。

 (推定。菊池市史には写真のみで説明なし)
 なお、菊池風土記には「延寿太郎国村の墓」があるとされていますが、どれなのかはわかりません。

※追記
 藤原右京が弘村、左京は国村と『新・菊池文化物語』にありました。墓も移転されてここになったようです。

 菊池氏没落後は玉名郡同田貫に移住し、後に加藤清正に登用されます。

【文献】
『菊池市史』
川添昭二『菊池武光』
『菊池風土記』
堤克彦『郷土史譚100話 菊池』

【延寿太郎屋敷】
菊池市西寺 Pなし


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