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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   

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獅子山祇陀寺

 閑話休題です。
 肥前島原の水月山円通寺で死去した大智の遺骨は四分されました。
 うち3つは九州で、菊池武重公に招かれて入った聖護寺、菊池武澄公に招かれて入った広福寺(石貫の寺)、肥前家の所領で死去の地でもある円通寺。いずれも九州です。

 そして残りの一つが加賀の獅子山祇陀寺とのことです。

 ここは元から戻った大智が開いたお寺です。現地では1326年開基とあります。
 ただし、墓碑がどこにあるかはわかりませんでした。狭い敷地を結構な時間掛けて探索したのですが…。見つけることができたのは

 これぐらいでした…。いったいどこにいるんだ大智。

 なお、大智は死に際して弟子の面山瑞方和尚に「俺の記録は全部焼け」と遺言したらしく、すべての語録を焼かせています。もちろん、菊池宗家に相手にされなくなったから拗ねたわけではないと思います。

【文献】
菊池市史

【獅子山祇陀寺】
金沢市十一屋町 Pなし
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大刀洗と太刀洗

 昨日4月21日、福岡FBS放送の「ナイトシャッフル」で、大刀洗町の町名の由来について紹介されていました。
 「南北朝時代の将軍菊池武光が筑後川の戦いに勝利した後、川で太刀を洗ったことから…」と説明されていました。よって、大刀洗ではなく太刀洗の予定だったのだが…という内容でした。
 経緯はその通りなのですが、問題は「将軍」菊池武光という表現です。テレビ画面にもテロップが出ていました。

 大刀洗町には菊池小学校がありますので、さすがに菊「地」という初歩的なミスはありませんでした。

 しかし、いったいいつ、誰によって、何の将軍にみっくんが任命されたのでしょうかね。それも征西将軍宮懐良親王がいらっしゃるのに。
 念のためFBSに問い合わせのメール(?)を送りましたが、返事は期待していません。

 なお、放送終了後、「菊池玲瓏」への「筑後川の戦い」検索での来訪者は6名でした。

補陀山巌吼寺

 円通寺から南西約1キロに岩戸山があります。大智は円通寺を弟子に譲り、岩戸山に庵を結び晩年を過ごしたとも言われます。
 岩戸山の東側には大智の像があります。『菊池市史』の記述を読み間違えて、一度山の南西側に登ってしまいました。
 


 この大智さんの目線の先には…

 なにやら石柱が立っていますが、あれはなんだったかな…。たぶん怖くて行かなかったと思います。

 なお、この像の背後には…(グロ注意)

 首のない像があります。これが元々の大智像だったりして。
 同じ島原の本光寺(丸尾城)には島原の乱で首を斬られた首なし地蔵がたくさんありますので、もしかしたらこれも同じ目に遭ったのかもしれませんね。

 他には大智が愛した猿のために建てたという墓もあります。


 円通寺は島原の乱で焼かれたため、それを再興する形で巌吼寺は開かれたようです。

 次回は四分された大智の遺骨の最後の所在について。

【文献】
『菊池市史』

【補陀山巌吼寺】
南島原市加津佐町乙 Pあり


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水月山円通寺

 昨日の続きです。
 大智は玉名の広福寺と、自ら建立した島原半島の大覚寺円通寺を往来していたとされます。円通寺は在地領主有馬氏から土地の寄進があったようです。
 現在円通寺は廃寺となっており、googlemapでは「大智禅師堂」となっておりますが、円通寺山門の礎石と、大智の墓碑があるのみです。島原の乱で焼けてしまった模様。


 左下に見えるのが山門の礎石、中央が大智の墓である「大梅の塔」、写っていませんが背後の木造建築物が大智禅師堂なのでしょうか。
 1366年12月10日、大智はこの地で77才で死去。大智の遺骨は四箇所に分葬されたそうで、既にご紹介した聖護寺、広福寺、ここ、そして加賀のお寺です。

 次回は加賀のお寺の前に、もう一つ大智が関わった島原のお寺について。

【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』

【水月山円通寺】
南島原市加津佐町己 駐車スペースあり


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如法経道場本覚寺

 久しぶりの更新になりますが、一応前回の続きです。

 肥前家に招かれて聖護寺から広福寺に移った大智は、海を隔てて肥前家の所領であった島原に寺を二つ建てました。その一つが高来郡東郷神代村にある本覚寺です。


 1358年、重富氏によって寄進されたとも(『菊池一族』)、神代氏によるとも(現地説明版)。

 本覚寺は大智存命中に焼けて重富氏と一悶着があり、後に沖田畷の戦いの際にも焼けてしまったようで、その後紆余曲折を経て廃寺になりました。現在はご覧の通り後期の住職達の墓石や神代氏時代の五輪塔が残るのみです。

 大智はこのお寺を「禅古上人」に譲るとの譲状を残しています。

 次は大智が死去したもう一つのお寺について。

【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』

【本覚寺】
雲仙市国見町神代辛 Pなし


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