2週間も放置してしまいました。もちろん、その間菊池に行けていません…。さぞ菊池市民広場の子ツバメさんたちは大きくなっていることでしょう。
さて前回ご紹介した
相良寺について。
実は桜がきれいなお寺です。
平安時代に開かれたお寺ですが、菊池史に初登場するのは源平合戦の時です。
ご存知の通り、第6代菊池隆直公は反平家の兵を挙げますが、やがて民のため安徳天皇のため
と称して平家方につきます。対立した緒方惟栄は肥後に侵入し、相良寺の本堂はじめ多くを焼いてしまいます。
このとき観音様が
カズラに飛び移って難を逃れたであるとか、観音様がカズラに姿を変えたという伝承が残っています。後者はさらに馬の脚にカズラの蔦を絡ませ落馬させ、味方に首を取らせたと続きます。
実は恐ろしいカズラと蔦だったのです。
さて、そんなこともあり相良寺の千手観音の右手というか、とにかく手の一つには、しっかり緒方惟栄めの首が握られています(グロ注意)。
なお、この千手観音像は木彫りの座像では日本最大とお寺は説明しています。
緒方惟栄はよっぽど隆直公が憎かったようで、その要望を容れる形で隆直公は処刑されたと言われます。義経を受け入れる交換条件としてとの説もあり、岡城は義経を迎えるために築城されたというのは本当なんでしょうかね。
その後、第15代菊池武光公の時代にも相良寺は登場します。
まず、みっくんが菊池に迎えた懐良親王が1348年6月12日から20日まで参籠したとのこと(さすがに「尊氏○ね尊氏○ね…」という祈願ではないか)。
さらにみっくんが
筑後川の戦いの凱旋途中に、出陣携帯用の不動尊を納めたとのこと。これは本物かどうかわかりませんが、一応町の指定文化財となっています。
これに触ればみっくんと間接タッチということになりますが、そんなことできません。
【文献】
『菊池市史』
『菊池氏史要略』
荒木栄司『菊池一族の興亡』
【吾平山相良寺】
山鹿市菊鹿町相良 Pあり(南からアクセスすると途中でっかい駐車場の案内がありますが、寺のすぐそばにもあります)
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