城氏のお墓についてまた書くと言いながら、2ヶ月が経過してしまいました。今回もまた違う内容です。
さて、5月7日の出来事です。所用でたびたび大川市に行くのですが、前々から車で通りがかる風浪宮という立派な神社が気になっていました。
酒見城のすぐ近くです。
天気も良いし、帰りに立ち寄ってみるかなとスマホで風浪宮のホームページをみていると、本殿は蒲池鑑盛が再建したものとのこと。蒲池氏と言えば、
多々良浜の戦いで菊池方として戦い戦死しているから、無理矢理菊池氏関連史跡にできないこともないけどさすが強引だな…、と思っていると、
「この境内に、もと(正平十年)菊池城主の献進にかかる石灯籠一対がありました。後年これをみた久留米藩主はその美しさにうたれ、特に好んで江戸藩邸の庭に移そうとして遠江灘を航行中、難破の厄にあい沈没したため、神威を怖れ代灯を献じました。」 見事に菊池氏関連史跡でした!遠江灘も菊池氏関連史跡になりますので、いずれダイブしなければなりません。
ということで、早速お詣りに。
門も立派。
こちらが蒲池鑑盛再建の本殿。旧国宝で、国の重要文化財。
そしてこちらがかわりに献灯された灯籠。
ご覧の通り、「正平十年」「菊池城主」の文字が。
当時は「菊池城」という呼称はおそらくなかったでしょうから(「菊池陣城」は書状に見えます)、久留米藩主有馬氏が「昔の菊池の当主」の意味で刻んだのでしょうか。
正平10年と言えば15代菊池武光公の時代。その年は武澄公が無双状態で、かつ探題一色氏を追いだした年です。既にこの辺りも勢力下だったのでしょう。
【風浪宮】
大川市酒見 Pあり
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