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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   
カテゴリー「お墓・お寺」の記事一覧

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菊池義武墓

 吉永正春氏の『漢詩でめぐる九州戦国誌』が発行されました。

 僭越ながら、菊池義武墓は私の写真が使用されています。
 オリジナルの写真を数枚提供しようと思ったのですが、ネットの写真がそのまま使用されています。
 私の本名がばれてしまいますが、興味がある方はご一読下さい。


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吾平山相良寺

 2週間も放置してしまいました。もちろん、その間菊池に行けていません…。さぞ菊池市民広場の子ツバメさんたちは大きくなっていることでしょう。

 さて前回ご紹介した相良寺について。

 実は桜がきれいなお寺です。

 平安時代に開かれたお寺ですが、菊池史に初登場するのは源平合戦の時です。
 ご存知の通り、第6代菊池隆直公は反平家の兵を挙げますが、やがて民のため安徳天皇のためと称して平家方につきます。対立した緒方惟栄は肥後に侵入し、相良寺の本堂はじめ多くを焼いてしまいます。
 このとき観音様がカズラに飛び移って難を逃れたであるとか、観音様がカズラに姿を変えたという伝承が残っています。後者はさらに馬の脚にカズラの蔦を絡ませ落馬させ、味方に首を取らせたと続きます。


 実は恐ろしいカズラと蔦だったのです。

 さて、そんなこともあり相良寺の千手観音の右手というか、とにかく手の一つには、しっかり緒方惟栄めの首が握られています(グロ注意)。


 なお、この千手観音像は木彫りの座像では日本最大とお寺は説明しています。


 緒方惟栄はよっぽど隆直公が憎かったようで、その要望を容れる形で隆直公は処刑されたと言われます。義経を受け入れる交換条件としてとの説もあり、岡城は義経を迎えるために築城されたというのは本当なんでしょうかね。

 その後、第15代菊池武光公の時代にも相良寺は登場します。
 まず、みっくんが菊池に迎えた懐良親王が1348年6月12日から20日まで参籠したとのこと(さすがに「尊氏○ね尊氏○ね…」という祈願ではないか)。
 さらにみっくんが筑後川の戦いの凱旋途中に、出陣携帯用の不動尊を納めたとのこと。これは本物かどうかわかりませんが、一応町の指定文化財となっています。


 これに触ればみっくんと間接タッチということになりますが、そんなことできません。

【文献】
『菊池市史』
『菊池氏史要略』
荒木栄司『菊池一族の興亡』

【吾平山相良寺】
山鹿市菊鹿町相良 Pあり(南からアクセスすると途中でっかい駐車場の案内がありますが、寺のすぐそばにもあります)


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獅子山祇陀寺

 閑話休題です。
 肥前島原の水月山円通寺で死去した大智の遺骨は四分されました。
 うち3つは九州で、菊池武重公に招かれて入った聖護寺、菊池武澄公に招かれて入った広福寺(石貫の寺)、肥前家の所領で死去の地でもある円通寺。いずれも九州です。

 そして残りの一つが加賀の獅子山祇陀寺とのことです。

 ここは元から戻った大智が開いたお寺です。現地では1326年開基とあります。
 ただし、墓碑がどこにあるかはわかりませんでした。狭い敷地を結構な時間掛けて探索したのですが…。見つけることができたのは

 これぐらいでした…。いったいどこにいるんだ大智。

 なお、大智は死に際して弟子の面山瑞方和尚に「俺の記録は全部焼け」と遺言したらしく、すべての語録を焼かせています。もちろん、菊池宗家に相手にされなくなったから拗ねたわけではないと思います。

【文献】
菊池市史

【獅子山祇陀寺】
金沢市十一屋町 Pなし

補陀山巌吼寺

 円通寺から南西約1キロに岩戸山があります。大智は円通寺を弟子に譲り、岩戸山に庵を結び晩年を過ごしたとも言われます。
 岩戸山の東側には大智の像があります。『菊池市史』の記述を読み間違えて、一度山の南西側に登ってしまいました。
 


 この大智さんの目線の先には…

 なにやら石柱が立っていますが、あれはなんだったかな…。たぶん怖くて行かなかったと思います。

 なお、この像の背後には…(グロ注意)

 首のない像があります。これが元々の大智像だったりして。
 同じ島原の本光寺(丸尾城)には島原の乱で首を斬られた首なし地蔵がたくさんありますので、もしかしたらこれも同じ目に遭ったのかもしれませんね。

 他には大智が愛した猿のために建てたという墓もあります。


 円通寺は島原の乱で焼かれたため、それを再興する形で巌吼寺は開かれたようです。

 次回は四分された大智の遺骨の最後の所在について。

【文献】
『菊池市史』

【補陀山巌吼寺】
南島原市加津佐町乙 Pあり


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水月山円通寺

 昨日の続きです。
 大智は玉名の広福寺と、自ら建立した島原半島の大覚寺円通寺を往来していたとされます。円通寺は在地領主有馬氏から土地の寄進があったようです。
 現在円通寺は廃寺となっており、googlemapでは「大智禅師堂」となっておりますが、円通寺山門の礎石と、大智の墓碑があるのみです。島原の乱で焼けてしまった模様。


 左下に見えるのが山門の礎石、中央が大智の墓である「大梅の塔」、写っていませんが背後の木造建築物が大智禅師堂なのでしょうか。
 1366年12月10日、大智はこの地で77才で死去。大智の遺骨は四箇所に分葬されたそうで、既にご紹介した聖護寺、広福寺、ここ、そして加賀のお寺です。

 次回は加賀のお寺の前に、もう一つ大智が関わった島原のお寺について。

【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』

【水月山円通寺】
南島原市加津佐町己 駐車スペースあり


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