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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   
カテゴリー「お墓・お寺」の記事一覧

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大梁山大慈寺

 肥前の前に、大智の足跡を少したどることにします。
 大智は幼名を万仲といい、七歳の時に川尻にある大慈寺に入りました。

 敷地は広大、立派なお寺です。


 この梵鐘は大智の師匠・寒巌義尹自身が文字を刻んだとされ、国の重要文化財に指定されているそうです。

 師匠の寒巌とのエピソードは色んなところで紹介されていますので割愛しますが、幼い頃から頭のキレる「小賢しい」(寒巌談)がきんちょ様だったようです。

 境内には寒巌の廟があり、霊魂塔

 その背後には両親の供養塔があります。

 右が母、左が父とのことです。
 さらっと父と言ってしまいましたが、父は順徳天皇とされ現地説明版もその説を採っています。後鳥羽天皇説もありますが、年齢的に辻褄があわないようですね。
 寒巌の墓は宇土の如来寺にあるそうです。

 この寺の開基に関わった河尻泰明の墓もあります。


 大智はここで7年ほど学んだ後に元に渡るのですが、次回は帰国後加賀に開いたお寺について。

【文献】
徳富蘇峰「菊池氏の勤王と大智禅師」『純忠菊池公を忍ぶ』
阿蘇品保夫『菊池一族』
平泉澄『菊池勤王史』
『菊池市史』

【大梁山大慈寺】
熊本市野田1丁目 Pあり


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菊池経直公墓

 肥前シリーズ第一回目は、第5代菊池経直公のお墓です。
 経直公は先代菊池経宗公の長男として1111年正月というゾロ目にうまれ、長男ですが七郎経直と系図にあります。
 鳥羽院の武者所として出仕し、その頃鳥羽天皇から並び鷹の羽紋を賜ったという説もあります。

 さて経直公のお墓は、武雄の潮見神社にあります。

 潮見神社の参道としてではなく、経直公墓域への参道とする石柱がどーんと。


 写真は2010年3月19日撮影で、桜がわずかに開花していました。梅だったかな…。

 さて、何故経直公のお墓が武雄に?となるわけですが、経直公はここ肥前杵島郡長島庄の荘官職を持っていたのでした。
 そして潮見神社の流鏑馬に出場した際、なんと誤って落馬、亡くなってしまったというのです。1186年とのことですので、壇ノ浦の戦いも終わっています。菊池一族にとっては大変な時期で、子の第6代菊池隆直公が生きているかどうかも怪しく、この一帯の所領を安堵されていたのかどうか…。特別招待でもされていたのでしょうか。
 いずれにしろ、76才で流鏑馬に出場するのは悪手でしたね…。せっかく一族としては珍しく長生きしたのに…って、当主の中では圧倒的な長寿だったのですね。

 そのお墓がこちら。
 
 ご夫妻の墓ということです。民家の裏でややわかりにくいです。

 なお、神社の背後の山は潮見城です。詳しく紹介するまでもないので、主郭の写真を一枚。

 石積が一部見られましたが、いつ頃のものなのかはわかりません。主郭までの道のりは結構急な傾斜でした。

 次回は少し脱線して経直公が勧請造営した神社について。

文献 菊池市『菊池市史』 上米良純臣『菊池氏史要略』

【潮見神社】
武雄市橘町大字永島 Pあり


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