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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   

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清水若宮神社

 第二代菊池経隆公祭神の神社シリーズ、ラストの4つめは清水若宮神社です。
 ご覧の通り、何の変哲もない神社で…


 違い鷹の羽紋が光ります。

 しかしこの神社には非常に大きな特徴があります。
 「清水若宮神社」なのですが、「清水」はなんと「やけ」と読むらしいのです。なんじゃそりゃ。

 堤克彦氏によると、加藤時代、細川時代と江戸期を通して「夜開」という漢字があてられていたとか。夜間地名の由来について詳しく考察されていますので、興味がある人は堤氏の文献をどうぞ。

 しかし、わたしも全く知りませんでした。ということで、菊池玲瓏のページのURLは「simizugu.html」になっています(しかも、やけ以外の読みは「きよみず」という)。

 次はついでに同じく菊池の難読地名について。

【文献】
堤克彦『郷土史譚100話 菊池』
阿蘇品保夫『菊池一族』
『菊池風土記』

【清水若宮神社】
菊池市七城町清水 Pなしも、目の前に駐車スペースあり


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天神平今宮神社

 経隆公祭神の神社その3は、菊池市下河原にある天神平今宮神社です。
 阿蘇品保夫氏の『菊池一族』で下河原にあることはわかったのですが、全く見当がつかずに困っていたところ、菊池観光物産館でたまたまお会いした中原英さんに連れて行っていただきました。
 中原さんは、これ以外にも所在が分からず困っていた神社まで複数連れて行っていただいた恩人です。次回から菊池に来るときはいつでも家に泊まっても良いとまで言っていただいたのですが、残念ながらその後まだお会いする機会がありません。

 さて天神平今宮神社ですが、案内も鳥居なく、道路から見てもご覧の通り非常にわかりにくいです。


 接近してみると、なるほど『菊池一族』の写真と同じです。

 中には男女の神像が2体安置されています。

 実はこの場所、中原さんもすぐに頭に浮かんだわけではありませんでした。最初はわからなかったものの、東竜徳氏の「河原史」に記述があったことを思い出し、ご自宅までご一緒して「河原史」を読んで所在を突き止めたのです。
 東竜徳氏は中原さんとも、菊池関係の書籍を多く残している堤克彦氏とも親交があった、私と歳の近い郷土史を志していた方のようで、残念ながら若くしてお亡くなりになったとのことです。
 ご存命だったら、歳も近いし、一緒に史跡巡り(私は後からついていくだけ)できたかもしれないと思うと、残念です。

【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』
東竜徳「河原史」

【天神平今宮神社】
菊池市下河原 Pなしも道路は広く車の往来が少ないので路駐可能か


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出田若宮神社

 予告通り、第二代菊池経隆公が祀られている神社を引き続きご紹介していきます。
 やはりまずは(といっても赤星菅原神社に続き2つめですが)出田の若宮神社です。


 御覧の通り、畑の中にぽつんと立ちます。


 ここには当然ながら経隆公が祀られているわけですが、ただの神社ではないのです。
 なんと、『菊池風土記』には「墓の上にお宮を建てて若宮と尊崇」とあるのです。つまり、この下には経隆公がお休みになられているという、それはもう大変な神社なのです(ということもあり、この記事のカテゴリーは「お墓・お寺」となっているのにお気づきになりましたでしょうか)。
 地面を掘り返したい衝動に駆られますが、ここはじっと我慢です。

 ここはゲートボール場になっていますが、ゲートボールをしているご老人達もそのことをご存じありませんでした。看板もありませんので、地元の人もご存じないのでしょう。

 ところでこの神社はいったい誰が建てたのだろう…。

【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』
『菊池風土記』

【出田若宮神社】
菊池市出田 Pなし 路駐ができなくもないが、北の花房小の南に停めるのが無難か。


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赤星菅原神社

 前回、赤星有隆屋敷を紹介した際に登場した「はいたか(拝鷹)天神」ですが、菊池市教育委員会によると初代菊池則隆公が勧請したようです。
 そのはいたか天神、『菊池風土記』では赤星村にある天満宮となっています。赤星にある天神様となると、赤星菅原神社で間違いなさそうです。


 さて、この右に摂社が写っているのが分かるでしょうか。
 これは今宮神社なのですが、祭神は第2代菊池経隆公なのです。

 経隆公祭神の神社がやたらと多いですので、次回も経隆公祭神の神社について。

【文献】
阿蘇品保夫『菊池一族』
『菊池風土記』

【赤星菅原神社】
菊池市赤星 Pなしも車の往来がほぼないため駐車可能


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赤星有隆屋敷

 今回は赤星有隆屋敷のご紹介です。
 なぜ赤星有隆屋敷にしたかというと、前々回6/15の内容が延寿太郎「屋敷」、さらにその前の6/10の内容が「赤星有隆」墓がある西福寺だったからです。

 全国民が知っているように赤星有隆は赤星氏の祖であるわけでして、由来は文永の役で有隆公が敵将と格闘して捕縛した際に返り血で甲冑が赤く染まったから、という説もありますが、これは「真っ赤」なウソであります。それ以前からこの赤星庄は存在していたわけですから。

 その赤星有隆屋敷は『菊池風土記』に説明があり、「はいたか天神の後の通り」とあります。

 たしかに赤星菅原神社の背後(北側)の通りに石碑が建っています。

 続けて『菊池風土記』によると、赤星重隆が守山城に入るとき、推定家臣に屋敷を譲り、その子孫が代々住み続けたと言います。他の姓の者が住むと「異人があらわれ追いかけられる夢を見る」という幽霊屋敷であったようです。今お住まいの人は大丈夫なのでしょうかね。

 なおこの石碑は昭和56年建立のようで、姓が「○野」さんの名前が複数刻まれています。どうやら教育委員会などではなく、個人による石碑のようですから、本当にここだったのかどうかは私にはわかりません。

【文献】
『菊池風土記』

【赤星有隆屋敷】
菊池市赤星 Pなし


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