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菊池ごはん

2013年2月4日開設。 旅行記がわり、菊池や菊池一族についての備忘録。

   

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信貴山城、大和郡山城と奈良観光

 5/25は大阪で用事があったので、そのまま宿泊し26日曜日はお城仲間さんに奈良のお城を案内していただきました。
 9時法隆寺駅集合だったので、8時から拝観可能だった法隆寺に行ってきました。人もまばらで落ち着いて見て回ることができました。

 まずは斑鳩のマンホール。1つは法隆寺五重塔でした。

 ご覧の通り、人がいません。


 合流して信貴山城へ。信貴山城は土塁がー、竪堀がー。堀切がーという城ではなく、尾根を切岸でバンバンと削ったお城で、一番の見所は弾正屋敷のこの切岸だそうです。

 たしかに威圧感たっぷりの切岸です。これよりは小さいですが、他にも切岸がバンバンと尾根を切りまくっています。

 城の南端には一部石垣があることから、本当はここが大手だったのではないかという説があるらしいです(後世のモノかもしれないとのこと)。


 山頂には幟が翻っていました。どうやら設置されたのは最近のことのようです。

 お城仲間さんは嘆いていらっしゃいましたが、私は菊池十八外城全てに並び鷹の羽紋入りの幟を立ててあげたいです。
 なお、松永弾正爆死の天守は、山頂ではなく、広大な弾正屋敷にあったのではないかとの考えもあるようです。

 お次は大和郡山城へ。100名城の選考にギリギリもれたそうで、一体どんなお城なのか。
 結論から言うと、個人的には大変好きなお城でした。
 水堀と無骨な石垣は見た目もそこそこの規模ですし、何より転用石が多いのは非常に興味深かったです。

 無骨な石垣


 こちらは比較的新しい石垣


 転用石!

 少しは散らばらせて気付かれないようにするといった努力の欠片も見られないのが好感度アップです。

 気に入ったのは堀と両脇の石垣のこの絵。

 特に一枚目は大好きです。ここに橋が架かっていたようで、これが再建されれば(予定)もっと見応えがあるでしょう。

 この後、唯一残っている惣構えの一端を案内してもらって、ここでお城仲間さん(達)とお別れです。奈良見物に向かいます。
 見物したのは興福寺、東大寺、春日大社です(写真は省略)。興福寺では阿修羅像をゆっくり見ることができました。九州国立博物館に阿修羅像が来たのですが、人出が凄いとのことで断念していたのです。阿修羅像も良かったですが、迦楼羅像がかわいくてたまりませんでした。

 最後に大和郡山のマンホール。

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吾平山相良寺

 2週間も放置してしまいました。もちろん、その間菊池に行けていません…。さぞ菊池市民広場の子ツバメさんたちは大きくなっていることでしょう。

 さて前回ご紹介した相良寺について。

 実は桜がきれいなお寺です。

 平安時代に開かれたお寺ですが、菊池史に初登場するのは源平合戦の時です。
 ご存知の通り、第6代菊池隆直公は反平家の兵を挙げますが、やがて民のため安徳天皇のためと称して平家方につきます。対立した緒方惟栄は肥後に侵入し、相良寺の本堂はじめ多くを焼いてしまいます。
 このとき観音様がカズラに飛び移って難を逃れたであるとか、観音様がカズラに姿を変えたという伝承が残っています。後者はさらに馬の脚にカズラの蔦を絡ませ落馬させ、味方に首を取らせたと続きます。


 実は恐ろしいカズラと蔦だったのです。

 さて、そんなこともあり相良寺の千手観音の右手というか、とにかく手の一つには、しっかり緒方惟栄めの首が握られています(グロ注意)。


 なお、この千手観音像は木彫りの座像では日本最大とお寺は説明しています。


 緒方惟栄はよっぽど隆直公が憎かったようで、その要望を容れる形で隆直公は処刑されたと言われます。義経を受け入れる交換条件としてとの説もあり、岡城は義経を迎えるために築城されたというのは本当なんでしょうかね。

 その後、第15代菊池武光公の時代にも相良寺は登場します。
 まず、みっくんが菊池に迎えた懐良親王が1348年6月12日から20日まで参籠したとのこと(さすがに「尊氏○ね尊氏○ね…」という祈願ではないか)。
 さらにみっくんが筑後川の戦いの凱旋途中に、出陣携帯用の不動尊を納めたとのこと。これは本物かどうかわかりませんが、一応町の指定文化財となっています。


 これに触ればみっくんと間接タッチということになりますが、そんなことできません。

【文献】
『菊池市史』
『菊池氏史要略』
荒木栄司『菊池一族の興亡』

【吾平山相良寺】
山鹿市菊鹿町相良 Pあり(南からアクセスすると途中でっかい駐車場の案内がありますが、寺のすぐそばにもあります)


より大きな地図で 菊池一族おっかけマップ(肥後) を表示

相良のトビカズラ~相良寺~菊池神社と軽くドライブ

 久々に菊池へ行ってきました。
 昨年11月17,18日のほの宵まつり以来ですので、半年近くぶりという不忠者です。ここ5年以上、月平均2度は訪れていた菊池…、おそらく一番のブランクではないでしょうか。

 そんな久しぶりの菊池でしたが、今回はのんびりとドライブしました。お目当ては山鹿市菊鹿町の相良のトビカズラです。開花しているという情報を得て訪れました。


 ここから北には吾平山相良寺があるのですが、菊池隆直公の時代に緒方惟栄によって焼かれてしまいました。その時、観音様はこのカズラに飛び移って難を逃れたとか、カズラのツタに馬の足を絡ませ敵を落馬させた等の伝承が残っていることから、「トビカズラ」と呼ばれるようになったようです。

 ついでですので相良寺にも行ってきました。

 トビカズラ効果もあってか、平日なのにそこそこの人出でした。桜も奇麗な相良寺は菊池一族と縁が深いのですが、詳しくは次回にでもご紹介します。

 その後は菊池神社に移動していたのですが、どうしてもマンホールが気になりましたので途中で車を駐めて見ることにしました。

 菊鹿町のマンホールは鞠智城でした。これは不覚にも今まで気がつきませんでした。

 さて、菊池神社はいつも通りでした。菊池神社と城山神社にお詣りです。

 武時公も相変わらず元気に馬を乗り回していらっしゃいました。

 神社の絵馬を見ていると…

 この神社に祀られている方々が、こんなお願いをすんなり叶えてくれるとはとても思えないのですが…。
 なお、昨年私は「菊池一族が大河ドラマ化されますように。もしくはドラマに登場しますように」と書きました。叶えられなかったので今年はやめておきました(西郷隆盛が八重の桜に出ていますが…)。

 麓のみっくんも相変わらずです。

 今日は天気が今ひとつなので、あまり良い写真はとれませんでした。

 それはそうと、物産館はツバメの季節で、みっくん像の周囲を親鳥が元気に飛び回っています。

 6月ぐらいまでは子ツバメさんを見ることができるでしょう。

ころうくん

 昨日4/29、テレビ西日本にチャンネルを変えると、「菊池」の文字が。
 菊池の物産館を紹介しているようで、きくち観光物産館ならば武光公の銅像が出るかと思い待機していましたが、違いました。ではメロンドームかなと思いましたが、やはり内装がきれいすぎる。ということで、コッコファームでした。
 実はコッコファームには行ったことがありません。菊池一族グッズが売ってあれば行きますが…。

 番組は続いて鞠智城を紹介して終わりました。
 菊池神社や菊池武光公像や正観寺や東福寺や十八外城やその他もろもろの菊池一族史跡を飛び越して鞠智城…。番組では「ころうくん」が登場しているところをみると、ゆるキャラ効果か…。


 「さきもりころう隊」

 ころうくんグッズもあります。

 持っているのはストラップ二種と絵葉書1種。
 生産中止になってレアグッズになるかもと邪な動機で購入したのですが、売り切れる気配はなさそうです。

 菊池市もゆるキャラ「菊池一族くん」を作らねば…!そして菊池24代フィギュアを!ついでに赤星有隆、菊池武澄、菊池武敏フィギュアもほしいぞ!であごすてぃーにぐらいがやってくれないかな。

小郡をふらふらと…大中臣神社の将軍藤と福童原古戦場

 雨が上がったので、小郡市へ将軍藤を見に行ってきました。

 2010年1月はこんな感じで寂しかったのですが…


 本日は

 わっさーと開花していました。写真も奮発してやや大きめ。

 懐良親王が筑後川の戦いで負った傷の快癒のお礼に奉納した藤とされます。将軍梅といい、かねたんもお花が好きですね。

 なお、小郡市の花は藤、マンホールも藤。


 ついでに近くの福童原古戦場に寄ってみました。
 菊池武光公、武政公が相次いで死去し、跡を継いだ菊池武朝公が敢えて高良山を降りて果敢に戦いを挑んだのが福童原の戦いです。武朝公はこの時12才ですので、実質的な総大将は武澄公の子・武安公だったのでしょう。戦いは肥前から今川了俊が駆けつけたこともあり、武家方の勝利に終わります。

 その福童原古戦場には説明板、石碑、千人塚があるのですが…
・before(2010年5月)


・after

 焼き討ちにあったようです。中央にはお地蔵さんが二体ありますが、かつてはなかったような?

 こちらが石碑と千人塚の碑。この小さい丘陵自体が千人塚なのでしょうか。


 その後はせっかくなので、大刀洗公園へ。ナイトシャッフル効果でごったがえしているかも?というのは杞憂でした。

 なお、戦いでは17度馬を乗り換え、兜も飛ばされたようですから、この銅像の馬と兜は…というのは野暮ですか。
 この銅像は機銃掃射の穴で有名ですが、台座の穴からはスズメが出入りをしています。「幸福な王子」みたいですね。

 なお、大刀洗公園には明治、大正と二度も「ここみっくんが太刀洗った場所ね!」という石碑を建てていますが、山隈にある「(伝)太刀洗之碑」はどうなんですかね。まぁ、ピンポイントで場所が特定されているわけではないでしょうから、どこも嘘ではないのでしょうが。

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